2006年03月15日

CM音楽に関しての懸念

<<2004年ヒトリツウシンより。その状況はさらに進んでいる。ジミ・ヘンが中途半端にそのモンタレーの映像をちらっと使われたり、なんかそれ単に代理店のバカのちっちゃな自己満足やろ。やめてください。あややがジャニス歌ってんのはなんかまだまし。>>
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おれは良くわからないというのが本音なんだけど、代理店のやつらいったいどういう気で過去の歌を3ヶ月クールのCMにつかっているのかってことなんだけどさ。いやほんとはわかってるけどさ。過去っつっても音楽ってものを自分の生きてきた証しとして考えてるおれみたいな人間もいるわけで、前にも云ったことあるんだけど、非常に不愉快である。商品のための映像とうまくマッチする、あるいはなんだかしらないが「雰囲気」な音。過去のミュージシャンがそんなところに使われるなんてことは想定せずに精魂こめて作った音をそんな移り変わりの激しい場で使い捨て感覚で使うのはいかん。いかんぞ、ほんとに。作ったやつ、首絞めるぞ。そんな過去の遺産の「浪費」は犯罪である、と思っ
てるやついませんか。連帯しよう、おれと。あゆの曲や幸田とか森山良子の息子の歌とか使えばいいじゃないか、って思うが、どうなの。今の商品ごときには。60年代・70年代、そして80年代前半の精神世界というのはまず第一にそこに若くしていた人間にしかわからない、そしてこの世界の近代化(養老先生的には都市化)の過程の一回性の(ということは正に一回きりのということよ)すべてが飽和状態になる以前の流動的な世界の話であることをみなさん理解しないことには始まらんわけよ。今おれは単なるおっちゃんの回顧録みたいにならないようにものすごく神経使って云ってるんだけどね。このことは何度でもいいたいと思う。なぜか?代理店のやつらには単なる材料でもおれにとってはそれらは宝物だからです。そしてほんとうはみんなにとってもそれは宝物のはずなんだけどね。おれはその宝物を自分なりに再現しようと思って音楽をやっているが、最近の音楽は音楽しらん子供用の音楽だし、おれが愛してやまない時代の音楽とは切れてしまっているからなのか、レベルが高い方が音楽として辱めを受けるなんていう転倒がそこにはある。簡単になんとかなるとは思わないし、きっとこれからもっとひどい状況になると思うんだけど、そこは昭和30年代生まれとしての人生の一回性ゆえに譲れない。懐メロでもないし、過去のR&Bなんて本当に素晴らしいんだから。おみつのカラオケで最近オーティスやレイ・チャールズ歌うのにハマってしまってることともそれは関係がある。まあ、すごく個人的なことなんだけど、おれと同世代の人間たちはそれを一体どう思ってるのかなあ、と思う。多勢に無勢だし、波風たてないようにしてるんだろうか?好事家の秘かな愉しみ、というようなとらえかたをしてるんだろうか?それとも過去のことはただただ懐かしいだけと無批判にTVCMを受け入れているだけなんだろうか?
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2005年12月28日

<今まで乗ったクルマ+これから乗りたいクルマ=理想のクルマ生活>

2001新春号から。乗りたいクルマはさほど変わらんがイマでも。しかし乗るというリアリティは5年経つとかなり遠のくね。

新春自分内盛り上がり企画
<今まで乗ったクルマ+これから乗りたいクルマ=理想のクルマ生活>

 フィアット・パンダ4×4、ボルボ240ワゴン、シトロエンBX GTi、ルノー・トゥインゴキャンバストップ、ランチア・プリズマ・インテグラーレ、アルファロメオ75v6、プジョー309GTi、・・・・・・・・・どれも思い出深い、いいクルマだった。今のサーブ900Turbo Convertibleも、ターボのかかりはいいし、なんと云っても屋根無しのスタイルはだいぶいいんじゃないかな。クルマ好きじゃなくたってそれはなんかわかるみたい。あとは幌に散財できれば云うことなしだ。最近食指の動くクルマが、特に新しいメのにあんまりなくて、経済情勢もきびしい折り、いやサーブはしばらく乗るよ、乗るんだけども、気になるっていうか、乗り損ねたクルマももう乗ってあげないとクルマそれ自体の寿命がくるっていうかさ、なあんて、一体だれに、言い訳してんだろう、おれ。

 しかし、世の中にはいろんな好き者がいるし、こんなに多彩な、そしてちょっとマニアックなクルマたちと喜びも哀しみも共にした生活を送ったおれも珍しいと思えるので、そんな立場から少し、今後気になるクルマを何個か揚げてみようと思いますので、好きなヒトだけ聞いてちょうだいね。
 ではまずITALIAのアッツイチームから。
*FIAT: 1. クーペ・フィアット。2. バルケッタ:
 これはどちらもまーまー新しい。クーペはいかついオリジナルなスタイルと豪快くんなドッカン・ターボに惹かれる。でもちょっとパーっぽく見えるかもね。バルケッタは昔欲しくてたまらなかったんだけど、2シーターは一台目としては実用的じゃない。荷物も積めんしね。でも、その軽さはおれの人間のカルさと共鳴するかはおいといて、まだ魅力的。チンクエチェントは非現実的。あと、ティーポの状態のいいのがあれば悩むかもしれない。
*alfaromeo:
 最近右ハンドルのアルファってよく見る。にわかアルフィスタが増殖中ということだね。アルファのみならず、クイクイ走るクルマのシフトは利き腕とおれの場合はもう決定しちゃってるので、いーなーなんて全然思わないけど。ま、それはいいとして、アルファならもう一度75に乗りたいな。今度はツインスパークの身軽なヤツがいい。あと155ならデルタと同じエンジンの4駆のQ4かな。でも赤はいやだ。75なら赤でもいい。何ゆっとんねん、って思うでしょ。でもそこんとこ、説明する気ないけど、ばかのこだわり。気にしないで。新旧のスパイダーはどーか?気にはなるがむずかしいなあ。バルケッタもそうなんだけど、今4座のオープンに乗ってるでしょ。するとこれが結構使えるんです。だから2シーターはなかなかむずかしいなあ、今となっては。しかし、ムチャいいオンナとだったら、2シーターとトランク2つで春先の北陸酒池肉林旅行なんてのも悪くないなあ、うーんどーしよーかなー、という悩みこそが非現実的やっちゅうねん。
*Lancia/Autobianchi:
 ランチアは現実的に欲しいクルマがある。デドラです。見た目はなんつーこともないセダンなんだけど、シートはアルカンタラっていうランチア独自の合成皮革で、アルファ155の兄弟にあたるクルマ。ランチアのセダンはコドモには決して理解できないカッコよさがあって、前のプリズマもそうだったんだけど、特にワカイおんなにものすごく受けが悪い。しかし、それがいい。乗れば乗るほどおれは好きになるという確信があるから、ほんとに欲しくなったらどーしよう。そんなんのインテグラーレと出会ってしまったらどーしよう。先ほどの酒池肉林旅行程度の非現実度だけど、あり得ないとは言えない程度の現実味もある。うーん悩んじゃうなー。そしておれが身も心も「社長化」してしまったあかつきにはテーマに乗ると思う。小さい部門もランチアは充実してる。飲みに行くのを10回やめたら買えそうなY10は乗ってみてパンダとどこが違うのかを確認してみたい。新しいY(イプシロン)も気になる。あのサイズであのインテリアのオシャレ度は衝撃的だ。センターにメーター類が集中してるのもオリジナルはトゥインゴなんだけど今じゃ日本車も真似しちゃって目新しさはなくなったが、ランチアならまた話は別。かつてのA112はどーか。うーん、おれはそうでもないなあ。なんか故障自慢のクルマってイメージだな。運転しづらそうだし。それに3倍(修理代込みなら5-6倍?)のお金使うんならY10に乗って旨いもん喰いに行く方がいい。 さてお次はフレンチ・シックチーム。
*Peugeot:
 プジョーはよー走っとるね。しかしおれは最近のモデルにはなんにも感じない。残念ながら。しいていえば106かな。これは楽しそう。しかしだね、205/309みたいなもの、もうプジョーは作れない気がするんだなあ、なんか。プジョーのぬいぐるみをかぶったドイツ車みたいだ。柔らかさがどんどんなくなっていってる。やっぱ、205GTi/309GTi/405Mi16ぐらいまでだなあ、おれにとって。あ、ひとつ忘れてた。魅力的なモデルがあったんだった。それはクーペ・カブリオレでハードトップが開閉して文字どおりクーペにもカブリオレにもなるというコーモリ車なんだけど、これはいいんじゃないかな。摂津信用金庫の事業者オートローンで買おうかな。オープン2つもいらんっちゅーねん。
*Renault:
 ルノーは乗り損ねというか中心的なモデルにぼくは乗ってないから、食指は大変動きます。新しいとこからいくと、あ、新しいっちゅうことはまだ慌てんでもええっちゅうことですけど、まずメガーヌ16V、新型のルーテシア16V、同じく旧型、そしていまだに悔いが残るのは21(ヴァンテアン)Turboだ。このいかついカッ飛びセダンにはかなりココロ惹かれるものがある。最近じゃだいぶ希少になっちゃって、けっこう高いんだけど、壊れるかなあ、タービン潰れたら高いしなあ。カックンカックンのまさにボクシーなヤル気を秘めたルックスからあっという間に200km/hだからなあ。もう人生どーでもよくなったら買おうかな。そしてルノーの小型車といえば5(サンク)だ。バカの一応クルマ好きの職人から4駆がハヤリ出した頃、そのルノーの3駆というののしくみがわからへんねん、マルタニさん前2と後ろ1なん?なんて質問を受けたことがありました。5(サンク)でした、へへへ。ま、誰にも間違いはある。しかし、このクルマはかなり奥が深いと思う。ライヴァルの205と比べても。GTもいいが特筆すべきはbaccara仕様というのがあって、革シートなんです。あんなちっこいクルマに本革というのが意外な展開。そしてそのつきたてのお餅のようなシートのふんわか度。ルノーのシートは世界一だ。壊れて動かなくても、座ってるだけでもOK。エクスプレスなんて商用車なんだけど、なんという洒落っ気ってくらい、荷物つんで営業したくなるくらいかわいい。5five(サンクファイヴ)なんてあったまクラクラしそうな名前の廉価版があったりとか、そのバリエーションはピカイチだ。そのどれもがシートはふかふかときたもんだ。いいですねえルノー。あんまり日産と一体化しないでね、ムッシュ・ゴーン。あ、ゴーンはニッサンのひとでした。そんなことゆってもしょうがなかった。
*CITROEN:
 シトロエンです。過去に乗ったクルマでもう一回乗りたいのがBX。 さっきシートの話、ルノーのところでしたけど、このBXのシート、これも、トロけます。特にグレードの低いバージョンのBX、もう助手席に乗ったアナタは立ち上がれないくらいにイカれます。なぜか?シートもさることながら、秘密はそのサスペンションシステムにあります。普通のクルマは金属バネで車体を支えるが、このBXは違います。オイルによって車体を支えます。これがアンドレ・シトローエンの大発明、そしてシトロエンをまさにスペシャルなクルマにしてしまった秘密です。ハイドロニューマチックといいます。この乗り心地は最初「なんじゃー、こりゃー」です。しかしこれに慣れてしまったら、もう過去へは戻れないほどの習慣性があります。まさに麻薬的なシトロエン。ぼくがもう一回!って思う理由はきっとそこにある。高速を飛ばすと、あるいはコーナーを曲がると、その時タイヤと地面に摩擦があるってことを一瞬忘れてしまう。ひとり乗りのホバークラフトみたい。たとえば右コーナーの時って荷重は左にかかるよね。それ、物理の常識。遠心力だね。ところがシトロエンのハイドロは常に車体を水平に保つという「意思」をもっている。するとどーなるか。ドライヴァーは左に傾かないから左へのGがほとんどかからずコーナーをクリアすることができる。これはね、快適以外の何ものでもない。なんか、すごい。すごいって思った、おれ最初に遠出したとき。未来の乗り物という感じです。ぼくがいま云ってるよりも昔のクルマというのもほんとにかわいいのが多いんですが、その中でもシトロエンは特に異彩を放ってる。ものすごくデザインが、今見てもあり得ないくらい未来的なんだよ。DSというクルマがあるんですが、大金持ち、っていうか小金持ちぐらいでもいいんだけど、是非いつか所有してみたい、と思う。ものすごーく、大事にしてあげたい。存在するどのクルマよりも個性的です。なんかこう云っちゃうとあとはカスみたいやけど、バネの(ってことわらなきゃいかんとこがおもしろいでしょ)シトロエンも捨てがたいイイクルマがある。小さいAXというクルマなんですけど、このGTも飲み代10回分グルマなんだけど、これも面白いと思う。軽くって速くって。あとオートマなんだけどCXとXMどちらもカッコは抜群な新旧大きなシトロエン。クラッチ踏めなくなったら欲しい。くじらって感じ。もちろんどちらもハイドロ。
 世界中にはもちろん仏・伊以外にもイギリス車・ドイツ車・スウェーデン車・アメ車・韓国車・日本車も存在する。ボルボとサーブは乗ったことあるし、サーブは現在進行形なんだけども、もちろん良さはある。頑丈さと信頼性だ。スウェーデン国内産の鋼は物凄く強い。それにそこそこ速い。でもぼくの今のサーブも買って一年になるが、オープンという反則技がなければ、あまり愛着は湧かないだろう。もちろん、オープンだったから買ったんだけどね。残念ながら、仏・伊車の信頼性はそれ以外の国のクルマに比較すると、それらより高いとは云いがたい。しかし、それがどーした。そのかわり手や肌に触れる部分の馴染みの良さとかなつっこさとかヒトを楽しくさせる能力とか、数値化できない部分での、所有したものにしかわからない柔らかい一体感、これはその他のクルマにはないものだ。それはもう機械とはいえない何かだ。生き物というと語弊があるかもしれないが、それに近い何かをぼくは仏・伊のクルマに感じる。生き物の中でもヒトと長いこと付き合ってきた、イヌやネコやウマなんかにごく近いものを感じる。だからクルマのことを考えだしたヒトにはぼくはとりあえず自分の知識と経験をフル稼動してうるさいぐらいにその良さをわかろうとする姿勢をもってほしいと思うだろう。クルマはまぎれもない機械だけど、機械とは云いがたいような機械です、仏・伊車ってのは。特に日本車しかしらない未だココロの柔らかいひとに乗って欲しいな。おれがうそつきじゃないってことがわかると思う。いや、ホント。だって組んだローンと修理代でフェラーリ、1.5台ぐらいは買えるっちゅーねん。
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2005年12月20日

欲望の奴隷はややかなしい・・・オトコの居場所

2004のほぼ一年前のヒトリツウシンより。女子用生理用品の「身も蓋もなさ度」は加速している。最近じゃ、フィットが訴求点である。「形」わかっていいの、っていうかTVで形を表現していいの?


<オトコの居場所>
 今現在、オトコとして非常にハッピーだよ、なんかもんだいが??なんて方はかんけーないのでとばしましょう。
 必要とされてないオトコはほんとに必要とされとらん気がしたわけ。これは厳密な意味でいっているのだけどね。そんなのあったりまえぢゃん、むっかしから〜という意見もあろうかと思われる。
 なんでこんなことを言うとるかといえば、ある生理用品のCMでこんな歌い文句を聞いちゃったからというのが大きい。
 「おおいひのねんどのたかいけいけつ・・・・」漢字で書けばこうなる。「多い日の・粘度の高い・経血・・・」一般的にTVは両性が見てんじゃないのか?いつの日からそういうスペシフィックでテクニカルな物言いが生産者から消費者にチョクで伝えられるようになったのか?こんなのって聞いたことないからはっきりわからんが、女子同士で「あたし、今日2日目やんかー、むっちゃネバいねんやー」などという会話が実際にあるのかな?最近のその手の用品というものはイイ仕事するんだろうな、とも思うし、他の広告でも「安心して寝れる」とか「ヨコ漏れしない」とかそれはいろんな言いまわしで訴求してるからなんとなくわかる。そしてその技術にはパンパースの研究チームが大きな貢献をしていることも知っている。他社製品と差をつけるのが広告宣伝であるからなにか有意差が必要になることもわかる。しかし、他に言うこともうないからって「多い日の・粘度の高い・経血・・・」かよ。視聴者の半数は男である。そのトーンは「オマエらべつにかんけーないからさ、流しといて」という暗黙のフレーズが聞こえる気がするんだよなあ。いや流すよ。流すし、あそこらへんにナプキン当てていやーんなんて性癖も一切ございません。ございませんが、そこまでいうのは不愉快や、P&G!!!。
 こんなCMの裏側にはフェミニズムとはちーと違う、男をないがしろにした意識がある。その意識は女だけが作っているというわけじゃなく、頭の悪い男たちもそれに加担している。どんどん身もフタもなくしていくことにほとんどすべての人々が貢献しちゃってる。一体、かれらは先のヴィジョンなんてものを考えたことがあるのか?いや、ないからできるのね。経済の本質がそこには見え隠れしている。逆説的だが、すべての差異を埋めること、それが大衆資本主義の目標であるからね。それは差異のないのっぺりした精神的地平をつくりだす。すべての差はそれを瞬時に埋めるために瞬間ねつ造されるわけだな。
 インターネット上ではエロ系サイトでオンナはもうこれ以上ないってぐらいに消費されている。パーツごとにの場合もあるし、グラビアアイドルとかなら全体的に。極端なハナシ、おっぱい・けつで溢れてるし、コーモンなんてどこにでも転がってる。お○んこはやっぱマズいみたいなのね。でもコーモンはいたるところにある。ねえ、女子のヒトに聞くがどっちが恥ずかしいのかね?見せんの。

 なんで急に資本主義から女子のコーモン話になっとるかというと、「おとこは資本主義社会の奴隷か?」と思うわけだから。「女は世界の奴隷か?」これはジョン・レノンの曲だけど、まあそれに掛けたんですけど。つまりは欲望を喚起するメディアに包囲され、さんざん意識の上で弄ばれ、かたや、公の場であるにもかかわらず、その存在を無視され、そして喚起された欲望を満たすためにはお金を使う装置をあちこちに置かれた状態といえるから。こりゃ大変だ、今びんびんじゃなくてほんとに良かった。
 こないだ郵便局の窓口で行列ができててその先に若いカップルがいて局員たちも彼らの肩ごしに次の人たちのための業務をこなしてて、「こいつらいったいどんな重大なことをしておるのか?」とおれの番になったからのぞいてみると、なんと、年賀状選んでやがった。「これがいい〜」「これ売り切れやん」「でもこれがいい〜」「そーやなー、でもないしなー」「でも〜」死ねよいっかい!!!!
 オトコの居場所ってそんなとこにしかない、ってのの典型。オンナのサイドで傍役って感じね。アクセサリーじゃないんだからな。
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2005年11月29日

DAVID BARNE 4度目の来日 in2001

2002の新春号から。髪の毛真っ白けなってておどろいた。最近そのツアーのドイツかどこかのDVDミタキが手に入れたみたい。DAVID BARNEだよー。


 最初にみたのはFESTIVAL HALLだった。なんと前座がMELON。連れて来たギターはな・な・なんとエイドリアン・ブリュー。まさに最先端だった。ホント衝撃的だった。おれが24位の時。あの時の、なんかその見たことのないものが目の前で繰り広げられてる衝撃というものをうまく云う言葉をいまだ持てないのは残念でもあり、嬉しくもありというダブル・バインドはまだある種のパンク・ニューウェイヴのコンセプトがまだ有効を意味する証しでもあるからそれはそのままにしとこうと思う。あの時代の印象的なライヴというと、グレアム・パーカー&ルーモア、死ぬ3ヶ月前のボブ・マーリィ&ウェイラーズ、ステージ上でべーシストが宙に浮きながらプレイしてたアース・ウインド&ファイア、RCO ALL STARS(わからないと思うから云うけど、ザ・バンドのリヴォン・ヘルム・「スモール・タウン・トーク」の作者ボビィ・チャールズ、Dr.ジョン、リンゴ・スター、そしてリズム隊はブッカーT&MG's(これって極力サラッと云ってるけどさ、ギター/スティーヴ・クロッパー、ベース/ドナルド・ダック・ダン、って要するにオーティス・レディングのバックやで、ラッパ隊もコミで。いわゆるBLUES BROTHERSのヒトたちね)などですけど、新しさというか、次の次元を指し示していたのはなんといってもトーキング・ヘッヅだった。かつてのミュージシャンが見向きもしなかったような方法で音楽を成り立たせるというパラドックスを軽やかにやってのけてる、ってのがカッコよかったの。トーキング・ヘッヅは=デヴィッド・バーンだったし、なにもかもが誰もやったことのない新しさが彼の中には渦巻いていた。ぼくも常に目が離せなかったし、一体次にどんな展開をするのかってとても関心事だったから。当時はぼくの参加していたTANKS(A Decade-IN FAKEの前のバンド。拾得によくでてた。当時の店員が玉置とどんと、彼らはぼくのヘタ・フリーキーギターでばか盛り上がりしてた)はヘッヅのベースにしてる音楽=アメリカン・ルーツ・ミュージックのブラック寄りなとこと今思えば共通項がたくさんあるなあ。

 やっぱ時代の空気ってことだろうね。その後、アフリカ音楽とテクノの融合(原始と原子の融合なんてコンちゃんは云ってたなあ)の「あの」アルバムを出した頃、おれはなんとなく予感がしてた。テヴィッド・バーンがカール・フィンチの力を借りてTRUE STORIESを作った頃、世界の音楽に目を向けるべきだって、これは、テヴィッド・バーンにヒントをもらったんだけど、正確に云うと、なんだかモヤモヤしていた心境を言葉ですかっと言い表わされたってのが近い。で、そう思ったおれはニューヨーク・サルサに目がいったわけ。そしてウィリー・コロン(スキニー・パパのひとね)に出会い、最初は馴染まなかったんだけど、そのうちに何かがピピッと来て、気がついたらコンドル1とコンドル2が出来てたというわけ。おれたち=A Decade-IN FAKEは、いち早くそれをBOX RECORDからリリースし、これは嘘でも何でもなく、ワールド・ミュージックのある部分をいち早く消化した世界で最初のロックバンドになったわけ。あの「先端」なテヴィッド・バーンのラテンのアルバム「NAKED」はそれから約一年後の出来事だもん。おれはその時キタバヤシと「やっぱりデヴィッド・バーンもラテンいったな」って言い合ったものだった。 
 その後、向こうはスターだし、こちらはインディペンデント・ミュージシャンだけど、いつだってその動向は気になっていた。日本でそんなことやってもどうにもならないことは分かっていたんだけど、だって当時の日本なんてブルーハーツとかの時代だぜ。フォークソングの3コードにちょっとカッコだけパンクで速い8ビート、ギターはコードかき鳴らすだけベースは延々ルートのみ、そんなんをバックにただちょっとカラダが元気なやつがメロディーもないような恥ずかしい歌詞を飛んだりはねたりしながらガナってるなんていうお粗末なものだったんだよ。パンクの最も安易な部分の再生産と云う感じ。この国の音楽はそれ以来完璧バカのものになっちゃったわけね。そんなんにスリヨルなんておれのプライドが許さんでしょ、ドー考えてもサ。
 で、その後デヴィッド・バーンは世界音楽お勉強の旅へと出る。ブラジルのノルデスチ(北東)バイーアに長期滞在し、ラジオから流れる音楽をエア・チェックする日々が続く。アルト・リンゼイの協力も得ながらそうして出来上がった、素晴らしいコンピレイション・アルバムが「BELEZA TROPICAL」だ。その中にはカエターノ・ジル・ガル・マリア・ミルトン・ロ・ジョルジュ・シコなんていうとんでもない素晴らしいミュージシャンの曲が収められていたし、デヴィッド・バーン自体もそれに夢中になってしまったことがよくわかる。
バイーアのダンス・音楽であるFORRO(フォホー)のコンピレーション・アルバムまでも編集してしまう。その中には偉大の10乗ぐらいの値打はあるルイズ・ゴンザーガの曲が含まれていた。「ASA BLANCA」を聞いたり一緒に歌ったりして何度ぼくは泣いたことか。同時に自分の国に自国語で何のてらいもなくみんなで歌いあえる歌がないことにがく然とした。その時から自分はコスモポリタンになることを決定したわけさ、自分がそんな曲を作るまではね。そのうちに「NAKED」後のデヴィッド・バーンは「レイモモ」という問題作を発表する。あ、今問題作などと云ってしまいましたが、おれの中では「快作」だけど、当時の音楽メディア、特にミュージック・マガジンの、ロック側の人間じゃない「民族音楽原理主義者」とでもいえそうな連中にこてんぱんに叩かれた。特に田中勝則とかいう「お勉強好きなカッコ悪いばか」の論調がデヴィッド・バーンをまるで「ブルースマンを搾取する白人」というような構図に押し込めて大批判キャンペーンをやっちゃった。そんな中で行われた、2回目の来日公演、バックはNYサルサのバリバリの連中。「デヴィッド・バーンの歌と踊りさえなければ最高!」なんてタイトルで公演評が書かれていたのを思い出した。おれは大阪ではチケット手にはいんなくて、京都というか長岡のなんちゃら会館ってとこまで見にいった。で、どうだったか、というと・・・・・「素晴らしかった!!」としかいいようのないコンサートだった。その翌日、3 MUSTAPHAS 3 がMUSE HALLであって、その2つのライヴを現場体験してしまったことはその後の自分の音楽の方向を決定づけちゃったと思う。今も云ってる「脱国境音楽」だ。

 もう一度云うけどデヴィッド・バーンのそのライヴは素晴らしかった。本人の中でもそのキャリアの中できっと頂点だったと思う。どの曲もカッコよかったけどぼくにとってなによりも圧巻だったのはサンバの、   
「DON'T WANT TO BE PART OF YOUR WORLD」だった。最後から2曲目か3曲目だったと思うけど、足踏みしながら一点を見つめながら、クールなんだけどアドレナリンがびんびんなのはよくわかって、これが
デヴィッド・バーンって感じ。トーキング・ヘッヅ時代の曲は一曲もなし。いさぎいい、それでいてとてもゴージャスなライヴだった。それこそ、ただ今ラテンに夢中!!!って感じがよくわかって、それにも増して曲は、ぼくも共演したことのある、NYサルサの大御所ジョニー・パチェーコやウイリー・コローンとの共作もあるとはいえ、モチーフ・アレンジともに最高だし、なによりもその音楽に対するリスぺクトがいたるところに感じられるし、何をイキってそんな大批判キャンペーンやねん、田中ー、ロックのことなんてなあんもわかっとらんクソ民族音楽評論家の分際で、意地の悪い小姑みたいな真似すんなっちゅうねん。と思ったわけでした。帰りのうちの奥さんの運転するボルボの助手席で「疲労天国」できちゃったぐらい、おれも盛り上がってしまったのよ。メレンゲのリズムがアタマとカラダに残ってたんだね、今思えば。
 デヴィッド・バーンに関しては最近、「ストップ・メイキング・センス」が再公開されたりして初めて彼を見たワカモノもいることだろうけど、あのスタイリッシュなヘンタイさってのはどう映るんだろう?パンク・ニューウェイヴ時代の(これはまさにぼくらの時代の、ということなんだけど)ダントツのカッコいい、アーティストなんだけどな。
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2005年11月09日

2005 真夏〜夏終号

マルタニカズヒトリツウシンあるいは曾根崎デッドエンド倶楽部ペーパー
<<雷に打たれて死ぬのはいやだ・政権交代希望します号>> 真夏〜夏終'05

 しかし、よう雷鳴ってる。瞬間豪雨も頻繁にある。日本の行く末を天も暗示、もしかして。そんな気しないでもない。過渡期は続く、いや続くねえほんとに。今年は早くもバテ気味ですが、何を根拠に・・・というのがまだない。パチンコはほぼ毎日行ってますが、根拠ではない。また世界陸上始まっちゃったからTVでサルが騒いでる。世界水泳の松岡修造はまだ笑えるが織田は笑えん。DON'T YOU THINK SO?
 ほんまに、思うけど、安モンのナショナリズム止めようよ。右翼の人々、街宣車でいたいけなドライヴァーびびらしてるだけじゃなくってさ、正しいナショナリズム講座してあげてよ。実はよーわからんのかな、幹部以外は?
 選挙である。今回投票率高そう。自民党ぶっ壊す、の公約だけは守ってくれそうで、小泉くん、ありがとう。一回、民主党にやらせればいいと、おれは思うけど。公明党がどのような醜態晒すかもとっても興味あるしね。
無風の年だったのが、突然政治の季節化して、今回はどこの政党も準備不足だし、きれいごとでは収まらんから、ちょっと面白いよ。投票行ってみませんか、なんて云ってみたくなる。

<曾根崎デッドエンドストリート トピックス>
 *ナチュラリーが2周年迎えます。なんかやるみたいです。ライヴです。27(土)21:00〜。マスターと友人たちがやるみたいです。
 *トドムンド前、花とフェリーニの場になってます。「ミス・トドムンド前」やってます。花とフェリーニに埋もれてカメラに収まってみませんか?参加資格は女子・おかまの方です。年齢は問いません。優秀賞はスパークリングワイン進呈いたします。店のものが「撮りませんか」と迫ってきたら受けてくださいね。


 真夏に旨い、うちの酒;
 1) まずなんといってもスパークリングでしょう。レッジァーノ(辛口)の赤のスパークリング。飲んだことない方多いと思いますが、これ白眉よ。やや甘いやつはよくあったんだけど(それも揃えてる)レッジァーノとスペアリブとか夏の黄金のカップリング。もちろん、ロゼ・白泡もあります。ロゼはブラインド・テイスティングでドンペリ・ロゼを負かした、カヴァ デ イスパニョール、ロジャー・グラート。白はANAのファースト・クラスで振る舞われている、ヴァン・ムスーを用意しております。イクしかないと思うがなあ。
 2) トドムンドといえばブラジル・ポルトガル。カイピリーニャはいかが?ピンガとクラッシュとライム。強い・スッとする。食後酒でもいいんだけど、ブラジレイロはメシと一緒に飲ってます。ボサやカエターノのBGMが余計引き立ちます。
 3)ピーチラム・フローズン。フローズンカクテルの中でもイチオシはこれ。シャリシャリの食感じゃなくて飲感。桃がたっぷり入っておねーちゃん向きか、と思いきや、ラムが人生狂わすよ。しかし、この日本の夏という時期は狂ったモン勝ちみたいな気がしてます。まあ、すれすれんとこで犯罪犯しちゃいかんけどね。スリルも楽しんでみよう。
 他にも多々ありますので、店のものと相談してくださいね。

<関係者のblog address>
 Naturallyマスターみたきくんのブログnaturalismo: http://naturally.ameblo.jp/
 マルタニカズのブログ: タイトルでとべます。
 1) アンチ・スペシャリスト宣言
2)ヒトリツウシン・アーカイヴス
 3)曾根崎キッドの日々
 マルタニカズのメルマガ:
 1) アンチ・スペシャリスト宣言(Ears of Rafflesia)

 ブログの時代である、まさに。おれもブログやりだしてから(これもまた、あほやから、あれやこれや、やっちゃうんだからね)ヒトリツウシンもうええわとも思ってた。だがしかし、またちょい別のもんやね。店を介して
みなさまとつながるというのはそれはそれで、血が通ってヨイもんですからね。

<夏は・・・・・・>
  夏は鰻である。背開きの中〜小振りの関東風の蒸しがはいったやつを山椒まみれにしてかっ喰らうときのあの喜び。至福とはそんなことをいうのではないか。
 
 夏は貴船である。市内が35度超の体温日であったとしても、貴船までのぼれば5度は低い。さらに床に座ればさらに5度低い。上に羽織るものが要るほどだ。熱燗なんか飲んでしまいたくなる。大した酒はないんだけども。今なら鱧しゃぶか?別に鱧づくしでなくとも、鱧はどこかで登場する。普通の懐石のバラエティの方が良い。貴船のとっくりはあっという間になくなってしまうからおねえさん(この時期はみ〜んなバイト)にしょっちゅう頼まないといけない。2本ずつ頼むのがいいかも。時間は昼間も涼しいがやっぱり、夕暮れからか?あの提灯の列による別世界感は言うに言えんものがあるからね。ちょいとだけ貴族にお近づきね。

 夏は冷や奴である。ikariでろくろ豆腐を買ってくる。二つに切ってガラスの皿へ盛る。ひとつはねぎとしょうがと花かつお、もうひとつは、これは最近気にいってるのだけども、納豆に四万十川のノリ付きというのがありまして、この納豆に今ハマっとりまして、これをろくろ豆腐の上にのっけで喰う。後半ではもみのりを散らす。オーソドックス版はビールにこちらは酒に合う。残ったらごはんにかけてしまう。

 夏は水茄子である。袋から出し、水気を切って、しょうがをのっけで山椒か七味をぱらぱらやりながら酒を飲む。喰っても喰っても爽やかなこんな喰いもんはないかも知らんなあ。

 夏はお茶漬けである。食欲が落ちるときに、でもやっぱりなんか喰わなきゃいかん。しかし、そのバリエーションは無限にある。そのなかでも多用するものは塩こぶと梅かな。じゃまくさくなくっていい。それにごまとあられともみのりプラス山葵、これで完璧だ。たまに納豆茶漬けもいい。お茶は熱くても冷たくてもどっちでもそれなりにいい。

 そして夏といえば、大根おろし茶漬けである。うーん、正しくないな。こんなの。大根おろしを大量に擂る。ごはんにたぷたぷになるぐらいにかける。花かつおをばらまいて醤油をかけて、ただこれだけ。ものすごく旨いのよ、これが。これで酒が飲める。いや、ほんとに。

 さらに、夏といえばスパークリングでしょう。舌先で気泡がぷちぷちいうあの感触。まあ赤やロゼのスパークリングはうちの店で飲んでいただくとして、本流の白泡をきんきんに冷やしてというのはやっぱりこのクソ暑い時に身体が正直に求めるものだと思う。刺身にはちょっときついが、焼いた魚だとか、天ぷらだとか、カレー、そして夏の鍋などにはどんぴしゃであると思います。
<ここの過去>
 ネットでこんな記事に出合った。
{? 初心(キタ) 8/10点
曾根崎センター街東入る/06-6311-5344/17〜22/日休/7000円
居酒屋。とてもわかりにくい路地を入っていくとある。佇まい良し。肴うまい。2階に上がると時間を忘れる。---震災でなくなってしまった(?)94年2月。}
 これなんのことだと思いますか?
 実は、TODO O MUNDOの過去なんです。その初心という店の話は、覚えているヒトがあまり路地内にもいなくて、具体的な事を何一つと言っていいほどぼくはわかっていなかった。しかし、「2階に上がると時間を忘れる。」この部分!!!
 昔もそうだったんだあ、とひとり感慨に浸っておりました。今月号のミーツ・リージョナルには路地を特集してもらいたかったから、自分の店に関しては、何もぼくは書いていないんですが、その場所・建物があったことからしか、なあんにも始まっとらんことを思うに(デットエンドもあるわけがないしさ)、その土地の過去のことを知るということは、まあ土地に限らんのだけど、この場合は、必要だと思いました。いい店だったっぽいとこが更に良かった。何か事情があって辞めることになったんだろうけど、かつての大将・女将と一度お会いしたいな、なんて思っちゃいました。

106XSiで南部をめざす・・・・
 小さくて、キレがよくて、大事にする気もない。これが106XSiへの評価と気持ち。怒るヒトいる?愛し方はいろいろあるのね。その106XSiの2速のシンクロを直してぐりんぐりんカーヴを走りたい。夏期講習も第二週目に突入して、ちょっと疲れてきました。生徒チームもややダレが見られる。アイスでも用意しとくかな、本日。今年は「あなたのところでは一切食料はいただきません」というタイプが中坊に3人いて、いや他の奴らは「なんとしても食いもんさがしだしてでも喰う」というタイプなんだけど。
 いまんとこ、自分の今年のココロの拠り所は紀州である。お盆過ぎたら変わってるかもしれない。でも今のところは南紀。あまり攻めた事のない奥熊野はどーだ、と思ってる。奈良・三重・和歌山の県境周辺だね。夏の大台ケ原とか奥瀞・北山村、そんなとこを106XSiで走り回れたらと思ってる。R169も凄くいい路になってます。以前は「ん?これが国道??」だったのに熊野博以降、中辺路といい、アクセスは随分簡単になった。いいか、わるいかは時間の経過が決めるからそっちにお任せすることにして、以前パンダとかで変な路に迷い込んでえらい目に遭ったような目に遭ってみたい。熊に喰われても別にええわ。
 そんなときにふと思うのはiPodええな、ってことなのよ。やっぱ無目的とまでは言わんが、精神のエアポケット内部で何かを行う際にはshuffleは「有効」だろうな、と思います。
 ただ、シンクロ修理とiPodとなるとなあ、プラス旅費となるとなあ。現実がわたしを小人格化させていく。つらい事よのう。いや、ほんと。

SAABで精進に行く・・・・・ 
 三年前の高野山大学以来の高野山だった。我が家からちょうど100km。軽いドライヴだ。前日に90分テープを一本作成して(ロリー・ギャラガー、BB、トッド・ラングレン、アマリア・ロドリゲス、ガル・コスタ、ジョージ・ハリスン、アメリカ、タートルズ、カエターノ、ニール・ヤング、リチャード・トムプソン、トム・ジョーンズwチーフタンズ、まあ、相変わらずやな)、こんなんiPod持ってるやつには、「バッカじゃないの」って冷笑されそうだが、録った順番忘れればshuffleにもなる。これってよーするに貧乏なだけだが、理屈って同じ。
 路はさほど込んでなかった。天気もこの時期にしてはスカっとはしてないがあんまりスカっとするとさ、温度を伴うから、今はこんなもんで充分だよー。
 丸三年行っていなかった間、路がいろいろ出来てて、けっこう面食らった。んー、でもいい、やっぱり。気温も外界とは7〜8度違って、半袖Tシャツではちょっと寒いぐらい。
 宿坊に泊まり奥の院にも2度行って、清涼で霊気溢れる空気の中、しばし、心を洗う。小雨も降り、いい感じにけぶって恩の院はより霊気みなぎるという形容がぴったりだ。熊野古道や、熊野本宮大社とはなにかしら共通の自然のチカラを感じられるトポスである。空海の、最澄とは違う大きさ、清濁合わせ飲むというか、その懐の広さに包まれる感覚がある。比叡山のクールネスとはまるで違う、といつもながら思う。
 精進料理も宿坊独自の個性が出てて、今回もとてもおいしかった。修行中の若者たちも礼儀ただしく、持参のワインも嫌なカオせず冷やしてくれていい酔いでした。自分が泊まった宿坊もかなり増えてきてて、近代的にやってるとこもあれば、昔のままやってるとこもあり、ただ、こんな場だから新しさばかりを求めてもちょっと違うし、少々の不便はおれは構わないんだけどね。
 金剛峰寺や壇上伽藍を歩き、聞けば前日は奥の院の「ろうそく祭り」だったそうな。10万本というから凄い数だけど、ろうそくが灯されて、それはそれは荘厳なことだったろう。ひとが多いとどうも避けちゃうのね、結果論だけど。那智や新宮の火祭りもタイミングが合わんこともあるけど、いまだに行っていない。
 翌日は曇っていたけど、無料化された「高野龍神スカイライン」を雲を突っ切りながら激走して護摩壇山まで行った。が雲の中何も見えず、帰ってきた。やっぱり「高野龍神スカイライン」No.1だ。護摩壇山までの30kmなんて楽しいから一瞬だもん。天気が良ければとも思ったが、また、取っておこう、次回に。
 また、しょっちゅう行きたいものでした。精進した・のかな?

<ばか短編小説>

あー、それはちょっといかん

 男「てめえ、ぶっ殺すぞ!!!」
 女「うるさいっ、のどちんこ短小!!」

<ばか短編半覚醒小説>
 
公私混同

 外科医のおれはメスをもって手術をしながら卵を割っていた。


 レイザー・ラモン住谷はビルドアップされた「新型いでらっきょ」である
<ダブルバインド>
 民主主義というと「いいこと」に聞こえるけど、「数の力」というとヒキョー者に聞こえませんか?これ、同じことだからね。間違えないようにね。やや、虚しさが残るんだけどね。
<ちょっとヤバいかもね>
 テロリストたちは過去のすべてのテロをデータベース化完了しちゃったんじゃないのかな、という感想をもった。ロンドンのテロのことを考えてて。
<いっしょに考えよう>
 タケヤみそのCMで森光子の太もも辺りを数度ぽんぽんとやってる、あのお椀のお化けの行為はセクハラではないのか?ないのであればなぜか? 多数のみなさまのご意見をお待ちしています。
<コンフェデ杯Numero3>
 いやあ、日本代表、ナイスゲームだった。生まれて初めて本日ついさっきナショナル・チーム好きになった。飛車角(ホナウド/ホベルト・カルロス)落ちとはいえ、ブラジルはブラジル。これは先の、フロックの「欧州王者=ギリシア」に勝ったなんてことより百万倍価値あることだ。フロックはフロック。まぐれ。
 この経験はお金では買えないよね。この経験のセッティングにお金はかかるけどね。
 コンフェデ杯では川口のガッツ・加地の積極性・俊輔の自信・中田のゲームメイクのセンス・大黒の得点への嗅覚・福西のボランチとしての職人性が印象的だった。
 特に大黒はスキラッチに重なる。スキラッチはイタリアW杯の得点王。まあ、隣にバッジオがいてくれたというものすごいアドバンテージはあったけど。ごっつぁんゴールも多かったが、ごっつぁんも5点・6点になると偶然性は消えていく。まあ大黒、スキラッチとインザーギ混ぜた感じ。これはいい。釜本以来の、初めての「遠慮しないFW」の出現といってもいいねえ。
 ただし、ブラジル・アルゼンチン・イタリア・チェコ・フランス・ポルトガル・スペイン・オランダ・ドイツ・イングランド・今回負けたメキシコなんて国はやっぱり強い。でもそのレヴェルまでの距離がものすごく縮まった、という印象を持つことが出来た大会で、これも大収穫じゃないかなあ。川淵くんの、くやしいって言いながらも喜んでる感じ想像できる。
 しかし、W杯というか国際大会はヨーロッパでやるのいいね。歴史と雰囲気ってすごく大事である、と思った。これもまたお金では買えない。
<純ちゃんのこと>
 なんというか、もう長い付き合いである。25年ほどにもなろうか。大学時代はドラムは滅法あっついがステージにはストーリーっちゅうもんがあるやろ、キタバヤシ、とキングちゃんが怒りながらも呆れてた。R&B/BLUESを25年前はやっていた。それしかやる音楽ってなかったわけね。その後パンクは一緒にやった。ジャズ・ファンクもやった。ウィリー・コロンとスラップ・ハッピーを教えてくれたのも純ちゃんだ。ウィリー・コロンに触発されてコンドル1/コンドル2ができた。変なところの鼻だけは効くので、打率4割ぐらいである時期情報源として頼りにもしてた。
 お互い映画も好きだから、ある時期今は映画評論家のミルクマンと3人でけんけんがくがくのトーロンを一晩中したこともあった。
 おれたちの基本はふつーでマニアックであるから、そのノリで一般人としゃべると怪訝なカオをされ、変態扱いされることもあるからなかなかムヅカしいわけで、しかし、図に乗りやすいタイプの純ちゃんは初見のガイジンとかに自己紹介で「アイム アブノーマル」とか言ってそのガイジンの眉間にしわをよらさすみたいな変な特技(特技か?)とかもあったりするわけで、主観的なのか客観的なのかよーわからんおっさんでもあって、まあもっということはあるんだけど気が向いたときにまた純ちゃんのお話はしてみようかな。
<今回の衆議院選挙に関して>
 ひとこともの申しときたい。江頭2:50ではないが。
 小泉くんのペースで、しかもやりたい放題に事が運ばれていってると思います。「改革」という錦の御旗は水戸黄門の陰嚢じゃなかった、印籠でした、に匹敵している情況である。郵政に関してのみのyes/noを問う、と小泉くんは強調している。国民のみなさんも世論調査によれば、この小泉節を支持して、小泉氏・自民党支持率が跳ね上がっている。まだ20日間あるからこれから流れが変わることもあるとは思いますが、小泉氏のある意味目つぶし撹乱戦法がいささかフェアではない気がします。それは数年に一度の、500億円をかけて行う選挙の論点が、それにしては物足りないと思える、その郵政民営化の是非だけなのか、ということです。これってかなり異常なことではないかな、と思えるわけです。他の大事な事柄に関して、与野党全会一致をしていて、かつ郵政の問題に関してだけ、意見が分かれている。こんな情況のときだけが、今、小泉氏の前提が成り立つのではないかな。冷静に見ていけば、イラク派遣と韓国・中国の反日の問題。これは外交において自民党のアメリカ追随・国際協調軽視という政策からきています。民主党はこれに対して国際協調重視の政策をそのマニフェストで示しています。これが論点にならないこと、あえて小泉くんが言及していないこと、これがフェアであると言えるのでしょうか?
 問題は郵政だけを論点にし、著名人の刺客を送り込み、話題先行の選挙を行ったあと(その話題にとびつくマス・メディアの知能指数は50ぐらいではあるが)郵政以外の野党との相違点も自民党の政策が支持されたことにするのが小泉内閣の戦法であることです。マス・メディアが騒げば騒ぐほど小泉くんにんまり、という構図です。政治評論家も、今回の小泉くんの戦法の分析とかに関する言及が多く、なんだかマス・メディアと一緒にはしゃいでる気がしてしょうがない。

 せっかく前回のマニフェスト選挙という、それこそ日本の選挙も「フェア」に一歩近づいたのに、今回またこんなムード選挙になるのでは、日本の民主主義の底の薄さを全世界に露呈することになって恥ずかしいったらしょうがない。500億円(よ!!!)使うのなら、もっと身のある選挙になる方がいいと思いませんか?たとえば、争点を少し拡大して(あんまりたくさんになると日本人ばかですから、これまたムードに流れる懸念が)、さっき言った外交政策も選挙によって争うべきじゃないかな。そうすると効率も適度じゃない?効率を重んじすぎても結局わかんなくなってムードになるというのはわかるよね。

 そもそも郵政民営化法案というのも自民党案自体も中途ぱんつになっていて、民主党は法案反対という風にされてるけど移行案みたいなのを出してきてる。ぼくたちもそんなのちゃんと読まないといかんのだけど、ここは簡素化して○× 式でやってみるなら:
      自民・公明          国民新党(自民非公認含)   民主・共産・社民
 __________________________________________________________________________________________________
郵政(賛成) ○               ×                ×
外交(米追従)   ○               ○                ×
 と、こんなことになると思います。これで選べばよくないかい?だれでも分かる事だけど、外交の問題が郵政の問題よりレヴェル低いことないでしょ。あと年金の問題とかは上の2点をふまえた上で下にブレイクダウンしていけばより現実的な選挙になると思うんだけど、どうでしょう?理論上、懸案が多くなればなるほど選択肢は必要になってくるし、上の図にもほんとは郵政が○で外交が×という選択肢があってもいいわけだね。2つの法案なら2の2乗で4通り、3つなら2の3乗で8通りの選択肢が必要になる。あまり現実的ではないが理論上ね。だから、肝心なことは、イラクの法案にしても、ぼくらが手のでないところで決まっちゃったでしょう。これが間接民主制のもどかしいところで、年金も消費税も国会の中で決まっていく。ぼくらにはそのことに対して異議申し立てをする機会が今回の総選挙しかないわけですよ。アツい小泉くんがせっかく解散してくれたんだから、小泉くん、計算してると思うけどさ、自分の強い言葉で国民をノセていけると思ってるからさ、それで、話題作りをして自民党圧勝を目論んでるわけだからさ、もっと賢いぼくたちは、500億使う選挙なのであるから、政党が争点にしたくないポイントもぼくらからすると、その差を審判できるわけだから、審判しようよ。イラクの話なんて一番わかりやすいよ。
 あとひとつだけ。日本の政党が現実的になりすぎてて、おれは危惧してます。理念を全面に押し出す政党の地盤沈下がもう止まらないでしょ。二大政党というけど、どちらも現実追従な感が否めない。「理念」、理想と言い換えてもいいが、理想のない政党ばかりじゃ「ユメもチボー」もないぜ。いや、ほんと。理想の消滅と引き換えに小泉くんのワン・フレーズ・ポリティクスではね。これは見事に空席を埋めてるんだよ。
 今回の選挙。もうおれは必ず行っちゃう。
 
<刺客?三流時代劇は寄せよ>
品がないことはきらいだ。身もフタもない手段はあなたの美意識を最終的には疑われますよ、小泉純一郎さん。あなたがやろうとしていることはポピュリズムの極地だ。品がない。品がない宰相を品のかけらもプライドもなくなってしまった、可愛そうな大衆の何十%がうさばらしとしての支持をしているだけかもしれないなあ、とは思わない?思わないよねえ。おれは思いますけど。
 亀井ちゃんなんて「今週のスケープゴート」ですね。亀井の悪口、何いってもいいのよ、今週は。という感じですね。亀井氏には政界から消えることに何の未練もこちらにはないけども、いじめっちゅーのがおれは好かんのよ。いじめを見たら、いじめられてる方をとりあえず助けちゃいたくなるわけよ。そんなパワーが及ぶエリアは限られるが。
 いや、勝ってもほんとにしょうがなく、意味もないんだけど亀井ちゃん勝つんじゃないかな。ホリエくんの候補になった瞬間からのあの東大生的なニュアンスは、ホリエの良さも消してしまう。やっぱ、政治って特別なものってことなの?なんかおもんないで。
 
 マニフェストの北川前三重県知事が今日いみじくも言ってたけどムードではなくほんとにマニフェストから議員を選ぼうよ。あとで、「お前そんなこと言うてなかったやんけー」などとツッコミができるのは、各マニフェストを熟読して投票することが前提だから、でもそんなキヴ&テイクの認識とかもなく、選挙権だけあるって人々がもしかしていっぱいいるのであるなら、そして小泉くん、そんなあほにきみのメッセージが届けば自分の勝ちだと思ってるのなら、まじめに考えんのがばかばかしいけどね。だから、フェアってなんなのよ、なのだよ。フェアを考えずして投票もへったくれもあるかよ。公明は別として。フェアな市民、幻想でもいいから、ここの感じがなくなれば、ファシズムやで、みなのもの。いーの、そんなんで。


<後記>
 なんだか、大変なことになってきた感が否めない。なんかみんなが右へならえ、することってそのこと自体じゃなく、その周辺がヤバい。気をつけなきゃ。気をつけよう。
党首討論に応じなかったり、セコい感じだよ、小泉くん。いつもやってる、って言ったな。選挙戦でやらなきゃフェアとは言えんだろーが。これでも国民の小泉支持率上がるようなら、こんな国民、大量破壊された方がいいんじゃないか?WHAT DO YOU ALL THINK?
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2005年10月28日

デッドエンドストリート

<<去年の今頃の号から。路地の再開発情況に特に進展はない。変化があるとすれば、自分か?>>
「2005年の11月6日、最後のデッドエンドストリート祭りです。ちょっと早いが忘年会的な。屋台・DJ・踊り・ライヴ・ワイン」

 いわゆる仲秋というもっとも気候のいい時期になってきましたね。
 お初鍋始めますからね。2F/ 3F要予約です。
 梅田の再開発。そんなもんしなくてもいいと思うが、金儲けしたい不動産・土建屋多いみたいね。やっぱり。そんなひとたちが考えること。「ビル建てよーぜ」
 トドムンド界隈も水面下で進行してたことが顕在化してきつつあります。沖縄そばもなくなっちゃったしなあ。新御堂側はどんどん切り崩されてきてる。この露地の1本北側のピンク系の店も多い露地は立ち退きが決まったみたい。もうすぐニュー・ミュンヘンとデッド・エンド・ストリートの店だけになるのだろう。この露地とかトドムンドの「ありえなさ」がひしひしと身に滲みますね。いつまでも、とは思っても時の流れには逆らえない。デッド・エンド・ストリートの土地を持ってる方がトドムンドの大家さんでその情報は前々から聞いていたんだけど、このデッド・エンド・ストリートだけはまだそんな話になっていなくて現実的に言っても最後まで残りそう。ただそんな時のことを考えると、けっこう興味深い。高いビルに囲まれて、トドムンド及びデッド・エンド・ストリートの店が営業を続けてて、昼間は廃虚みたいに見えるんだけど、暗くなるとどこからともなく人が集まって来、世界の音楽が流れ、料理が出され、ワインが何本も抜かれ、賑やかな歓声がこだまし、歌が歌われ、さまざまな言葉が飛び交い、それはさながらパリ5月革命の自治解放区のようでもあり、怒るやついれば泣くやつもバカ笑いするやつもおしっこ漏らすやつもいて、横ではネコたちが勝手にくつろぎ毛繕いをしながら、人間ってやつは・・・なんてクールな視線を投げかける。そんなことになればよろしいですなあ。

 街を面白くするには、これって案がおれにはあって、それは何かというと一時間に1本でいいから深夜にすべての電車を走らすこと。そういう署名活動をしてもいいと思ってるぐらい。私鉄・JR・地下鉄すべてに対して。街に活力が戻ると思うし、深夜の時間に限ってはきっと赤字にはならないと思うがどうか?
 赤ワインが美味しくなってきたね。それもそーだけど、赤でも白でもない「緑ワイン」を入れました。興味ある方飲んでみてくださいね。あとグラッパ。そしてシングル・モルトも是非秋にうまい酒だね。焼き牡蠣にタラモア・デュ−を垂らしたのを肴にね。プレモダンでモダンを、トドムンドおよびデッド・エンド・ストリートで越える試み、あなたもいかがですか?何のことかよーわーらんって人にはおれが今度説明したげるね。

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2005年10月21日

DS9

<<2002の秋号より>>

 2年半関西TV系でやってて突然の打ち切り。そしてさらに2年半待って、スカパーで第6シーズンから再開したDS9が無事最終第7シーズンを終えました。いやー大変だったなあ。6年越しってことだもんなあ。VOYAGERが突然地球に帰還しちゃったのと比べると、ドミニオンとの勝ち目のない戦争を背景にしながらも「遊び」がいろんなところに散りばめられてて見ている側としてはいろいろ楽しめたなあ。全員が素顔で出てくるエピソードや(大サービスだと思うが)、パラレルワールドでは全く別の役柄を与えられてたりとか、なんだかやりたい放題で、しかしスタートレックシリーズの中じゃ最もオトナなシリーズだったなあ。トーンはあくまでも暗く、しかしその中に暗闇ならではの光沢のある金属がシブく光ってた、そんな感じ。恋のエピソードもオトナ同士だったのが良かったなあ。それにしてもアメリカにはいいアクター・アクトレスがわんさといるねえ、とTVドラマを見てるとつくづく思う。男優ももちろんいいが、セブンやジャッジア、そしてキラ中佐なんてほんとに素晴らしい。キラちゃんなんて、最初の超無愛想な顔から最後の慈悲に溢れた表情まで、演じるなんてことはこんなに顔のバリエーションが必要なものなんだと思わせてくれる。やっぱりコドモ向きである最近のハリウッドからの映画に出てるやつなんかよりずっと素敵な男優・女優がTVドラマに出ていると思うんだが。俳優を見る目のあるスタッフそして現場があるってことはなんていいことだろう。もちろんかけもちだってあるし、キャリアはどっちから始まってもいいんだけど、それだけ層が厚いということでしょうね。「プロファイラ−」のサムなんて素敵すぎるぐらい素敵な女優で、ただそんなに若くないけど、そんな人たちの活躍の場、それがTVドラマであるとするなら、なんでこんなにアメリカのTVドラマが面白いのかって理由はそこにある気もする。日本のドラマってこりゃもう悲惨なものだけど、そう考えてくると舞台やってるやつの中には時に唸るようなやつもいるこたぁいるけど、ちょっと話題になるとトークショーなどに出たりして本業がおろそかになったりするような構造的なものもあるんじゃないかな。セブン役のジェリ・ライアンなんてほぼ完璧なオンナの人だが、そんなちゃらちゃらした番組でアホな司会者と下衆な話してるとこなんて想像できないもんなあ。実際は知る由もないんだけど。 次は「もっとも現在に近い22世紀のエピソード」である「エンタープライズ」シリーズがすでに始まっている。アメリカでは第2シーズンに突入しているらしい。それにしてもジーン・ロッデンベリーの頭の中から生まれた「スタートレック世界」も四つのシリーズが完結してしまった。そのなかではぼくらのいるアルファ宇宙域から始まり、ワープ技術とワームホールのおかげでベータ・ガンマ・デルタ宇宙域まで既知の領域が拡がった。そのそれぞれが実は別の宇宙なわけで、それは宇宙物理学の知識の拡大とシンクロし、さらにそれに夢が加わるという、それはNASAの圧倒的な情報に裏打ちされているとはいえ、アメリカのそっち方面の文化のものすごさってのを感じずにはいられない。現実の宇宙開発でいうなら、月面到達も実は嘘だったという話が信憑性を帯びてきていて、これ以上先に進むことの非現実性にスタッフが二の足を踏んだともいえるけど、ジーン・ロッデンベリーのあとを受け持つリック・バーマン、マイケル・ピラーのその頭の中、これはぼくたちすべての人間にも言えることだけど、それこそが実は宇宙なのであって、その中身にどこまでも踏み込むことこそ、そのどこかに存在するワームホールを通って別宇宙まで到達できるのだ、というパラドックスこそ、「スタートレックの精神」じゃないかとぼくは思うんだけど。ds.jpg
 ちょっとマニアックだけど、ぼくの好きなボストンのハードボイルド作家ロバート・B・パーカーといえばスペンサー・シリーズなんだけど、そのTV versionがあってそこでのスペンサーの盟友ホークがベンジャミン・シスコ大佐だった。なんのことかわかんないかな。だからマニアックって云ったじゃないか。
 しかし、スタートレックシリーズのいいところは2回目の楽しみというのがあって、それは終わったハナからもう一度最初から見直すっていうことなのよ。VTRがある限り何度も楽しめるわけ。まだまだトレッキーをやめるわけにはいかんわけね。スターウォ−ズのいかにも大衆を相手にしたわかりやすさ(あんなものは既成の物語の拡大宇宙版だと思う)も思考停止しちゃったヒトビトのための娯楽としてはそれはよし、だと思うが、その裏街道をいく、より科学に寄り添ったスタートレックはその細く険しい道を開拓している、これがほんとの「最後のフロンティア」だ。まあ、スターウォーズ的な、どこの社会にも存在する伝説をモチーフにすること自体は悪いことではないけれど、なんにも知らないコドモとかからはスタートレックに至る道というのはいかにも遠いなあ、とため息が出る。自分はマニアックなつもりはまるでないのに、一般的にみるとやっぱりマニアックってことになるのかな。楽しいことだけを追っかけてるつもりなんだけどね。うん、やっぱりマニアじゃないぞ、おれ。
posted by おれ at 19:06| Comment(0) | TrackBack(0) | startrek | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月20日

トレッキングon 熊野古道

<<2004のちょうど今頃、ちょうど試験明け。去年もよく働いとったっちゅうことかな?やな>>

「気がつけば熊野古道が呼んでいた」
 三週間連続で働いた。もーやっとれん。この精神・神経の疲労をどうしてくれよう。この二日間の休みは逆療法でハードに過ごそう。やっぱり熊野しかないわけだった。
 古道を歩きたい、と漠然と思った。あたらしやさんは本日も空いていたわけだった。先日の台風・豪雨でR168のあの衝撃的な映像がTVで流れてたこともあり、またR169も土砂崩れありとのことだったので、山道は今回止めよう。こんなときに敢えて「山を走るぜ!!!」なんてやつはばかだ。自然を過小評価しちゃいかん。熊野はヒトの小ささを教えてくれる。こんなことも後白河上皇ぐらい熊野詣しないと「近代」のアタマではなかなか理解できないんじゃないか。都会人の近代にまみれたフヤケ頭じゃピンと来ないかもね。あいにく雨が降ったり止んだりで必ずしも絶好のコンディションとはいえないが、考えてみよう。かつての熊野詣は京都から1ヶ月かかった。その間には考えられる限りの天候を人々は経験しただろうから。行くっつったら行く。これが熊野詣のノリなのだ。
 難所といわれる大雲取越えを歩きたいと思った。スニーカーと滑って転んでもいい服に着替えて熊野川町の
大雲取越えのための入り口から入る。ひたすら雨で滑る苔むした岩を気をつけながら上っていくと早くも汗が吹き出て杉の隙間から落ちてくる雨粒とでTシャツはびしょびしょになる。熊野川町から入ったから実は本宮を背にして歩いていることになる。途中に標識があって那智まで14kmとある。とてもそれは無理だ。しかし、なんとなく距離感がつかめた気がした。足元がおぼつかなくて、しかも滑るから下ばかり見ながらでないと歩けない。結構足きてるから少し休みながら行くことにする。顔をあげれば、前方に木々の間から相対的に明るい空が垣間見える。上りは割りとすぐ終わるのではないか、と錯覚させる。そんなわけないんだけどもね。何度か膝にきて休まざるを得ないことになったんだけど、不思議なことに少し休むとまた歩きたくなる。ふと振り返ってみると上ってるときの視界とは違う。視界は広がり土と苔と木々と岩がなんともシックなコーディネーションだ。空はこちらからは見えず、雨も降っているからか昼なのにとってもダークだ。熊野古道でなけりゃ無気味なのかもしれない。たばこを持ってくるのを忘れたがかえって良かった。また上り出す。上るわけだけど、休んだり下を見たりを繰り返しているうちに、途中から「これは道じゃない」と感じた。険しい獣道という意味じゃなく、いいやたしかに険しいんだけども、身体は確実に疲れてくるのだが、それに伴って脳内物質もピュンピュン分泌されているわけで、方向は違うが、楽にアタマを中世にタイムスリップさせることができそうだった。わかったことがあった。
 一遍聖人が熊野大権現に出会ったのもこのあたりではなかったか。その奇蹟にケチをつける気はさらさらない。しかし、今熊野大権現を目指しただひたすらこの難所を滑りながら歩く者がいる。たった一時間ほどてこの汗とこの膝なのだ。クッションのいいスニーカーもない、草鞋(わらじ)でのこの道は想像もつかないハードさだろう。ここまで一般のひとびとなら出発地にもよるがもう十日以上は歩いているだろう。その疲労と苦痛こそが奇蹟の要因であることがよくわかった。そしてみんなは熊野大権現に恋焦がれているのだから。
 先ほどふと感じた「これは道ではない」という感覚。それも正しかった。何かに守られているのだ。直立する杉の木々と苔と岩と土、もっというと草陰にいる虫や小動物、さらに次の曲り角の大きな杉の陰に潜んでいるかもしれない熊にさえ守られているということだ。そしてそのモノ・生き物こそが熊野大権現の化身ではなかったか。善悪の二元論的解釈をするなら「ダル」という否定的な存在(妖怪?)もある。しかし、それも御愛嬌だ。これこそ、神武東征の時の熊野の毒かもしれない。しかしその時に神武一行を救ったヤタガラスが導いた道こそ、この熊野古道の原型だったのではないか。
 いろんなことがクリアになっていき、帰りの下りの濡れた苔だらけの岩を滑って後頭部強打する想像からも自由になりかけたとき、長く続いた石段を上り切ると道がふーっと平坦になった。
 夢でも見てるのかな、と最初は思った。まあアタマは千年前まで行っとったわけだから少々適応できなくてもしょうがないとも思ったが、目の前の光景がやはりにわかには信じられず、しばらくぼーっとしていたと思う。
 あまりに美しすぎて声が出なかった。それが円座石(わろうだいし)であるのに気づくのに10秒ほどかかったと思う。梵字が苔の中に彫られてあり、これは熊野の神々がここで、談笑した巨大座ぶとんだった。阿弥陀仏、薬師仏、観音仏がその梵字の意味なのだった。ここは果たして天国か、それとも・・。と、その時は素直に思えた。しばらくただただその石を見つめ、完全に身体が回復したのを確認してさらに上り始めた。
 なんだかすごく元気になっている自分がいたが、それから15分ほど歩いて中根旅篭跡までて引き返すことにした。杉木立により軽減されてはいるが、雨が本格的になってきたことと、やはり、きっとワラうであろうこの膝で急な下りはこれ以上上ると自信がなかった。
 下って円座石(わろうだいし)のところまで戻ると声が聞こえて来た。50代くらいのカップルが石のところにいた。初めてひとに会った。向こうが挨拶してきて、思わず「ここ天国みたいじゃないですか」と声が出た。
 足元に気をつけながら降りていくが、膝はかなりのワラい方で途中何度か立ち止まった。たしかに道ではない。何か未来的だと思うし、細長いドームを連想させる空間なのだ。中世と未来がくっつく例はいろんなところで見ているが、その間にある近代という時間帯は人間を結局スポイルしただけだったのかな、という疑問もうまれてくる。きっとそうなのだろう。近代を養護するものは相変わらず無反省に大きな顔で存在する。科学・技術・定理・公式・原理・・・・・・。しかし、確実に人間は行き詰まってしまってる。そこでプレモダンに退歩することは敗北なのだろうか。そうは思わない。行き詰まるような近代を支える前述のすべての事項はゴールではないのだ。常にリニューアルされていくものなのだ。つまり、一番もっともらしい「嘘」というのが近代を成り立たせている根拠なのだ。だから近代は砂上の楼閣であるという仮説は説得力を増すわけだ。
 この、目に見え、耳に聞こえ、肌に感じ、鼻腔に匂うもの、この実感は決して無視できるものではない。
 びしょ濡れになってサーブまで戻ったが、何かしばらく呆然としてクルマのキーを回せなかった。

「参考」ものの本によれば;
 「大雲取越え、小雲取越え」は、また「死出の山路」とも呼ばれ、そこを歩いていると、亡くなったはずの肉親や知人に出会うといわれています。疲労困ぱいのなか、幻覚を見るのでしょうか。昔は行き倒れになった人も多かったらしいです。ダルという妖怪に取り憑かれたという話も伝えられています。
 紀州が生んだ世界的博物学者南方熊楠(みなかたくまぐす)も雲取を歩いていてダルに取り憑かれたことがあるといいます。
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2005年09月26日

第三回トドムンド秋の大旅行para 洞川

<<4年前のトドムンド旅行。なんとアメリカがアフガン攻撃をした日だった。いまだに大峰山童貞ではあるが・・>>

もう昼間、屋根開けても2時間でカオ真っ赤、みたいなことはなくなった。逆に夜うしろに乗るやつには毛布が必要になってきた。しかしまあこれが中庸な気候というもので、こんな季節長く続いてよ。
 さて秋恒例の「第四回酒池肉林トドムンド大社員旅行」が今年も敢行された。以下はスリルと興奮に満ちたそのてんまつの記録である。なお、書かれてあることは事実に基づいてはいるが、その表現としては多少の誇張あるいはデフォルメがなされていること、さらに各人の名誉のために実名は伏せて「かなりわかりにくい偽名」を使ってあることをご了承お願いします。

 11時山田駅ロータリー集合。クルマは今回4台。サーブ・プジョー106・ルノートゥインゴ・そしてマツダというラインナップ。運転手はおれ・SK原・M瀧・Sばちゃんの4名。みんな安全運転でね。とその言葉がこっちにそのまま返されないうちにしゅっぱーつ!と思ったら、13名しかいない。MッキーとBTっちがおらん。また遅刻かよー。すると青のべスパのメット2ケツ組、こそこそと登場。もーおまえらそのままバイクでいけー、という社長命令にもかかわらず、四台に分乗。サーブにA希ちゃん・Aいちゃん。S原のプジョーにたばこ吸う組のKみKみ・Jブさん・BTっち、M瀧のトゥインゴにはMッキー・N井。Sばちゃん号にはMっち・Eりちゃん・KKろちゃん・Mグが乗り込んで出発。
 サーブを先頭に近畿自動車道を快走する。空は快晴ではあるが日射しはやわらかい。昼間屋根開きでもそんなに暑くなく、流れる風とうまい具合に中和されて身もココロもクルマもすーいすい。ミラーに映るフランス車たちのブルーも目にいい。柏原インターで降りて国道に入る。そろそろお腹空いてきたね、ということでケータイで各号車と連絡をとりめしやをさがす。しかし国道沿いのその系統の店、見る店見る店全部ツブれてる。まいったなー。そして吉野へはこのルートではいったことがなく、宿のおっちゃんの送ってくれた地図がバカファックスのおかげである部分にょわーんと伸びており、なんだかよくわからん代物だった。R309までいけばわかるんだけどな、なーんて思ってて、で分かれ道で止まってどっちかなあなんてやってるうちに「こっちかな」なんて入り込んだ道がどんどん狭くなっていく道で、典型的なアウトなパターンで、しかも四台ぞろぞろなわけで、おれは抜けるのも早いんだけど、Sばちゃん号は脱輪危機一発だったと後できいた。いやーごめんごめん。
 昼めし屋をさがす。発見「ほっとほっとママ」。あのさ、なんなのかなあ?いや、ほんとになんなのかなあ。ネーミングって微妙ね。ま、なんか喰えればいいや、ってクルマを駐車場につめこんで入店。しかしいきなり十五人御来店ってのにおばちゃん慣れてないらしく、少しパニックだったけど、こちらもそこは御協力でオーダーを極力簡素化いたしまして、おばちゃんも客のおっちゃんをにわかにウエイター化してそれに対応し、なんとか十五人メシ終了となったわけ。
 さてそのうちぼくの馴染みのR309にも入り、あとはただただ吉野・天川・洞川温泉を目指すのみとなりました。あとで聞いたところによるとプジョーのスモーカーチーム、SK原がノンスモーカーでたばこ禁止令が車内に発令されてたらしい。だはは。吉野川を渡って少しのぼる。途中「松茸1パック千円」に、ついふらふらと誘惑されそうになるがなんとかもちこたえる。いいかんじの路。びゅんびゅん行きたいが、連れもいることだし自重する。オ・ト・ナ・ってかあんじ。ホントはけっこう前つかえてたのね。
 で、洞川温泉に到着。山上ケ岳の中腹にある修験道の行者さんたちの前線基地でもあるここは、ぼくにしてみると熊野のそのおおらかさに対して、密やかで謎に満ちた一画だった。最古の超能力者役行者(えんのぎょうじゃ)=役小角(えんのおずぬ)がさまざまな不思議な力を授かった吉野と熊野を結ぶ大峰山系北端のこの温泉街はそんな霊験なムードに溢れていて嬉しくってしょうがなかったんだけど。まあ、しかし、その、これは楽しさに重きを置いた旅行であるので、俗物化することにし、難し面白い話はとっておこうかな。まあ、晩飯後機会があればね。感じるやつは感じるだろうしね。
 桝源旅館に到着。BTっちの交渉により、一人一万円ポッキリだけど、三つ続きの広い部屋と晩飯・宴会ようの二十畳の部屋が用意されてた。男子四名がこっちのひと部屋、女子十一名が奥のふた部屋ってことにクルマを置いてきたら自然に割り当てられてた。
 とりあえずカラダ動かそう。これは去年の教訓。旅館の私有のグラウンドまでふた手に分かれてぞろぞろ歩いていく。途中、川があり、その水の透明度にびっくり。夏には飛び込みできそうだ。旅館街でも水があちこちで湧き出ていて飲むとうまかった。なるほど。で、とうふもうまいわけだ。キャンプ場を越えてグラウンドへ。まずは野球。ちょっと寒い。インドアにバスケしに行こうということになり、ぞろぞろと移動。体育館に着いたけど、タイムオーバー。なんだかアバレ足りんカオの群れ。よーし、じゃサッカーしよう。広いテニスコートがあったのでそれぞれのエンドのフェンス一区画をゴールにホイッスル。しかし長さが70mほどあって攻めて帰ったらけっこうキツイ。スニーカー持ってくるべきだった。後悔しててもはじまんないから、とりあえずやる。ボールに「たかる」という感じの、うんこにハエ、的超草サッカーだがなんだか燃える。みんなもきゃーきゃーいいつつやってる。燃えるがきつい。しっかしなあんか元気だよなあ。特にMッキーヘディング燃えすぎ。帰ったら労働強化するぞ。

 みんなカラダがったがったになりながら旅館へともどる。こりゃ真剣にストレッチしないとえらいことになりそうだね。喉もカラカラだが「もうメシまでバッタのションベンほどの水分さえもとるべからず」宣言。旨いビールのためね。
 風呂がキャパ5名くらいだというので、女子は二班に分かれて入浴。男子は全員で入浴。二班目のMっちが「誰が一番デカイかおしえてくださいね」「ハイハイ」
 お湯は適温。でもなんだろ、この匂い。結局わかんなかった。でも置いてあった備長炭入りの石鹸がナイスだった。あがって「ビールビール」しかし、オンナどもの二班目がこれからだった。オトコ4人あてがはずれてガックリ。テキトーに洗ってはやくあがってこい。しかし、その声は和室にむなしく響くのみだった。結局おあずけな約20分間を音楽・文学論ですごし、やっと二班目あがってきた。

 食事部屋に移動し、社長の一言後ビールで乾杯。かんぱち・まぐろのお造り・鮎塩焼き(ちょっとかたかったな)あとちょこちょこっとあって、メインはちり鍋。山の中でちり鍋っつーのも変なかんじだが、これは川魚の洗いをなんとかやめさせろというおれの命令と旅館の主張をBTっちが交渉そして妥協の結果。うんまあよくやった。鍋はおいしかった。ハモ・蟹・ふぐ一応おりました。今回酒は大洋盛・越乃景虎・シャブリ・ミュスカデ・アンドレ・サンテニー等。景虎やっぱりうまいねー。いやほんと。宴も中盤となると、各自のペースで飲み食いが深く進行してる。おれは酒・ワイン・酒・ワイン・ワイン・酒・酒・酒・ワイン・酒・酒・酒・酒・っていたってシンプルな感じだけど、ひとによってはさまざまでAいちゃんは酒・お茶漬け・お茶漬け・お茶漬け・お茶漬けだし、Sばちゃんなんて、酒・寝・酒・寝・寝・寝・冷やピタクール・復活・酒・メシ・寝・って感じ。N井は酒・スペイン語・酒・おもろいカオ・酒・なんやそのカオ・酒・おもろいっちゅーねんそのカオ・酒・なんとかしろそのカオ・・・・。だし、BTっちのように酒・酒・おかん・酒・おかん・おかん・おかん・おかんなんてパターンもある。などなど、各自いたって勝手な人生を送っている状況というのがそこにはあって、まあ、それはそれでよし、という以外にないなんてことになるもんな。
 最後に雑炊で締めなきゃ。え、Aいちゃん、まだ喰う?ところがO−157以来、卵は出さんことにしとります、という宿のおとーさんの挑発的な意見に対して、BTっちとMッキーに「どっかで卵ゲッティングしてこい指令」を出す。で待つこと15分。よくやった。7個コーヒー屋にてゲット。トラジャがあるらしいから明日朝いこう。蟹みそ・そこらへんのポン酢ののこり・酒ののこり無作為ぶちこみバージョンのが旨かった。じわじわと夜は更けていく、なんておもったらまだ九時すぎやんか。ノミタリナイやつと甘い系に走ってるやつが縁側に移動してうだうだする時間だ。役小角の奇蹟の数々の話始めようかな、とおもったがなんかちょっとノリがちがった。もうちょっと後で。このあたりからゆったりするやつ、盛り上がるやつ、寝るやつ、ひたすらのむやつ、あばれるやつ、さらにいろいろ。今回の最年少Mグ(18受験生)の毒吐きもそろそろ始まってきた。
 SK原に「なに浴衣の下にTシャツ着てんねん」SK原「だははは」Mグ「脱げや、おまえあたしのこと好きやろ」SK原「だははは」Mグ・18才、SK原・35才。
 ま、とんでもないバカ娘にこれを読んでるひとは思うかもしれないが、ま、その通りです。しかし、バレリーナである。ちょっと踊ってみなさい。そこは長きにわたる訓練というものをやってきたものだけの威厳と美しさがあるわけだよ。浴衣のままでバレエ。Mグ、パンツ見えそーやで。
 「パンツぐらいええねん」パワフルである。「Mグうすいし」んーなことはきーとらん!で、はだけた浴衣でBTっち前へ。浴衣をちゃんとしてもらって、と。BTっち、おかんのまま。
 そうしているうちにカラダ動かしたいチームがうずうずしてきて、しかもさきほどの野球・サッカーでストレッチしないとやばいね、って話になってきた。自分でもこのコリ方だとさすがにヤバいなと思っていっしょにストレッチ。開脚中のA希ちゃんの「マタ」をちょっと拝借しておれも開脚。まわりはブーイング。うるさい!
 じゃあちょっとギターでも弾こうかな、せっかく持ってきたし。ハーモニカも欲しいな、と呟くと、「ハイ」とMっちが袖からだす。どーしてそんなドラエもん?ちょうど日本vsナイジェリアがあってて、パンデイロ担当のSK原は音が鳴り出すと浴衣はだけて叩きにくるが、終わるとひっこむ。あ・いそがしい。「絶対あたしのことすきやろ」Mグからのつっこみにも「だははは」で答え、もひとつ・あ・いそがしい。
 そんなバカ状態が常態化しそうになった頃、それは起こった。
 アメリカがアフガンを攻撃を開始したのだ。みんな慌ててTV前に集まる。あいたたた、だ。言葉もなくなる。現実が一番重い。
 ブッシュが演説を始めてる。知らん間に日本語の合の手が入ってるなあ、なんて思ってたら隣におったはずのMグが立ち上がってブッシュにけんか売ってた。その頃にはおれもだいぶ酔ってて「いかにこれが愚かな行為か」ってことをいいたいんだがクチがまわんなくなってた。今この時確実な殺意をもって誰かが誰かにミサイルを打ち込み、確実な殺意をもって機上から掃射が行われていることが不思議な気分だった。リアリティの欠如ということに対する焦りと苛立ちは、しかしおれの酔いを本格的に冷ますことなくかえってもっと深いところへとひきずりこもうとしている気がした。意識をなくすまえに頭の上に黒いパンツが見えた気がした。殺意のミサイルと18才の黒いパンツに引き裂かれた自分の意識はなにかを確実に象徴していたのだが、それを検証する絶好のタイミングをあざわらうかのように睡魔によって闇の中にひきずりこまれていった。どこにだれがいるのかさえわからないし、直の畳が身体に痛かったが、動けなかった。頭をもたげてJブさんが枕を滑り込ませてくれた。

 翌朝、「ごはん食べてくださいよー」という宿のおかーさんの声で起こされる。ぞろぞろみんな起きてきて、「そーいえばKみKみまたなんかうなされとったなー、寝言で会話しとったぞ」というと、N井いわく、おれもだって、「え、なんかやばいこといってなかった?」団体旅行の危険その1。
 朝メシが用意されている。精進料理の朝メシみたいで納得。行者さんおおいんだもんね。メシ後、人間は巨大な消化管であるから食べたあとは出したくなる。トイレ3箇所、ウンコ希望者いっぱい。団体旅行の危険その2。まいったな。タイミングはずすことにする。池の鯉でもみながらたばこ喫ってくつろぐ。それにしても、アメリカー、なにすんねん。どーも気分が沈む。気分は沈むが便意は盛り上がる。いってこよ。和式で燃えるが足が痺れた。団体旅行の危険その2ーb。
 チェック・アウトがなーなームードだったのをいいことにN井はまた布団の中へ。聞けばみんな寝たあと勉強してたらしい。明日試験だってさ。

 しかしやっぱりいいかげんに出ないと。支払い済ませて、約束のコーヒー屋へ。トラジャはおいしかった。こんなとこで飲めるなんてね。おれも熊野詣でで一番困ってたのがコーヒーだったからさあ。それにしても気持ちの真ん中にアフガンがある。どーも人工的なはしゃぎ・もりあがり、いやおれのことなんですけどね。なんか無理してないと他人から見れば不機嫌としか思えないようなカオになっちゃうのがわかってるからツライ。どこかへ脱走しちまおうか。悩んだあげく、やっぱみんなに帯同しちゃった、結局。鍾乳洞と吊り橋とどっちがいーい?ということになり「穴に入りたい」というおれの意見がとおり、鍾乳洞へ。メインストリートを下る。途中に旨いもの発見。巨大子持ち鮎の焼き立て。人数分はないが、どーせ喰えないでしょ。約二人に一つの割り合いで購入。おれ、ハイエナくんしようかな。そのかわりにね、Mッキーそそのかして缶ビールをパクらす。よし、うまくいった。観光地での万引き、よいこのみんなはしちゃだめよ。

 この鮎はでっかくて、焼き立てでひじょうにおいしかった。ただのビールもね。あと、アメノウオ・さらには受け口のイワナも水槽にいた。旨そうだった。いい気持ちで鍾乳洞を目指す。八幡神社でお参りをして急な砂利道をのぼり出す。昨日の今日だからけっこうキク。15分程かかって鍾乳洞入り口前に到着。ビール飲みたかったんだけど、まだのぼってきてないって。あ、なるほどね。ひと休みして、じゃあいくか。せまあい通路を降りてのぼって、いたってしょぼい鍾乳洞だった。失敗失敗。しかし、高いところにのぼった特権もある。それはランドスケープ。山上ケ岳が見え、ぼーっと見てるとタイムスリップしそうになる。今にも役行者が飛んできそうな雰囲気。のぼった甲斐もあったよね。しかし世間話に花が咲いてるオンナども。もうちょっと放置しとこう。
 30分程して、じゃあみなさん下りましょうか。途中道しるべあり。こっちに吊り橋1kmと書いてある。えー、行くの。行く気満々な、というかもう勝手にどんどん歩きだしてる。下り始めてた男子3名にも引き返すようにいう。
 1kmくらいならいいか、と思ってついていくが、その1kmアップダウンな1kmだった。きついねー。小学校の遠足を思い出す。Mッキー・A希ちゃん随分先いっちゃったなー。なんでそんな元気やねん。ひょっとしてお前ら真性アホか。ま、足腰強いっていいことだけどさ。吊り橋に到着。第一回に行った十津川の途中の谷瀬の吊橋のこと考えるとなんてことはないもんだったけど、あかんやつも何人かいて、そんなやつがいると揺らしたいやつもいて、お決まりの、嬉しがって揺らす、怖がる、手引いてあげる、そんな一往復して、もう行くとこなくなって下りましょうということになる。下りたところに修行用の滝を発見。脱衣場とかあって、そりゃ着替えなきゃいかんのはわかるが、変な気がした。
 今回仕事でこれなかったA美ちゃんと法事で田舎へいってるKいちゃん、そして新婚のKヨちゃんに、そして自分たち用のおみやげを買いにメインストリートへと戻る。おみやげとしては、胡麻豆腐・名水豆腐・陀羅尼助が狙いだったかな。胡麻豆腐は当たりはずれあるけど、ここのはなんだか当たりな気がしていた。胡麻豆腐屋さんを目指してぞろぞろ歩く。というか、正確にはオンナどものペースに翻弄されながらオトコたちがついていく、というのが正しい。おみやげ屋はほとんど試食ができて、それもけっこう道の両サイドにあるもんだから、こっちでワー、あっちでワー。出たとこ勝負・ペースなし・気紛れ・予想不可能・長期展望なし、そのような吉野のちょうちょが羽を震わせるとNYの株価が下がる的な偶然性理論満載の脊椎反射直観行動によく文句もいわずついてきてくれました、M瀧・SK原・N井の男子特別参加組。この場を借りて感謝とお詫びを一言いっときたい。
 さて胡麻豆腐・名水豆腐・しめじ山椒つくだ煮・備長炭入り石鹸・お茶漬けにのっけるとウマそうなおかき・陀羅尼助・黒胡麻・葛もち・葛きりなどを購入してそろそろ帰ろうか。Aいちゃん、ところでその杖なんにつかうの?
 じゃあ帰ろう。山は暮れるのが早いからね。丸谷さんという人が作っている名水豆腐をクーラーボックスの中に水で浮かしてうまいこといれて、帰りはすこしとばそうかな。必殺DEVO運転もまぜながらね。
 今回行きました天川村洞川。とてもいいところだった。遠くもなくトライヴァーもしんどくなく、宿は気楽、水・豆腐ほんとにおいしい。旨いコーヒーも飲めたし、町並みもいい。温泉もある。各旅館ともオープンで、これは多分行者さんが多いからだと思うけど、玄関で餅焼いてたりする。この時期くらいまでは鮎もあるし、冬になるときっと行者鍋なんかが食えるんじゃないかな。プライヴェートでも訪れてみたくなりました。桜の吉野なんかよりずっといい。アメリカの報復さえなけりゃ・・・というのが心残りだな。しかしみなさんも是非一度どうぞ。
posted by おれ at 14:48| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月15日

夏が終わればサンマが待っていた


<夏はヴェランダから終わるんだが秋はサンマが待っていた号>02初秋
<<一昨年の夏終わり号より。


 いや、しかし、抗ってもしょうがなかったね、この夏の暑さ。人間の限界・無力感を強く感じる。外には出る気力が失せる。よっぽとイイおんなかなんか待ってないと、ね。しかし、クーラーの中にばかりいると、なんだかストレスが溜まるでしょう。基本的に汗かくのはすきなのね。こんなとき、なにもかも忘れてしまえるような激しいセックスいいですね。みんなー、セックスしてるぅ。お酒、まあ、飲んでも飲まなくてもいいけど、涼しい部屋でその涼しさがぶっとんじゃうくらいのセックスをする。まあ、そこの描写はそれこそ人それぞれだから、やめとくとして、ふうっ、イっちゃったあとカラダを離し、かいた汗を冷気に引かせる。けっこういい時間でしょう?これって。おれさあ、思うんだけど、なんかこの閉塞感だらけの世界で身近にヒトを解放してくれるもののひとつとしてセックスって結構いいんじゃないか、って思ったりもする。かのイアン・デュ−リ−大先生も「セックスに薬にロックンロール、まったくいいもんだぜ」とおっしゃってる。イアン・デュ−リ−大先生の偉いとこはそんな歌を作ってブロックへッズなんてバンドも作って、それを崇高かつ、かっこいい表現まで高めたとこがほんとは偉いんだけどね。ian.jpg
 しかし、と、かの大先生も云ってるぐらいだから、おれたちもスケベギンギンでもいいし、技巧に溺れてもいいし、ただただ、「いいセックス」をしましょうよ。人は最初も最後も裸だよ。
 思うんだけど、あ、これは前号の続きっぽいかもしれませんが、ジェンダーの溶解に伴って、オトコでなきゃ・・・・なんてことがほんとになくなってきた。にもかかわらず、巷ではオトコだし、とかオトコだから、(とかオンナのくせに・・ってのはさすがにあんまりないかな最近)なんて根拠で勘違いな行動をしてるバカオトコ・バカオンナがまだまだ溢れてる。ほんと、どーしよーもないバカが多すぎるんだけど、もう一回いうけど性差というものは現代においてはもう生物学的性差、つまりセックスにしかありません。ばかはばかなのでしょうがないし、そのばかカップルにはどーぞ幸せに、BGMは「あゆ」だよね、ってくらいしか、いえないけど、そこを曖昧にしてるオトコと今付き合ってる理性溢れるルックスグッドなオンナのこたち、はやいとこ、二股なり三股なりかけるかして、そいつを相対化しとかないと、エライ目にあうよ。幸せを掴むためには世の常識に囚われてちゃまず、無理。その常識の一部をジェンダーも担ってたわけだしね。その根拠(常識とされるもののね)はぐらぐらしてます。もう5年ほどのイノチかも。その時代にハマり過ぎた者は次の時代生きれないのよ。これ生物学の「常識」。
「おとこだから・・」っていい続けないことにはもう「もたん」ちゅーことね。そんなこといい続けないともたないおとこがじゃあ何になるのか?「おとこ」じゃなくなったら、という疑問ありますね。答えよう。
 それは「おばさん」になる。おかまって答は積極的におとこやめてオンナをめざす際の明確な意思に基づく選択。これはりっぱよ。それに対しておとこを志向しながらママとかの手助けも借りながら「おとこだから・・」っていい続けてもダメだった場合、それは足元から「おばさん化」していくんだぞー、という予言をしておこうね。御愁傷様。
posted by おれ at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 夏の終わり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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