2005年08月23日

うれしはずかしなつかしの味

<<最近の2004ヒトリツウシンから。この号おれは元気だった。熊野古道歩いたりして、パワー充電してた>>
 ナポリタンなのね。スパゲティといえばナポリタンとミートソースしかなかったっちゅーねん、三十年前の話だけど。イタリアの「ほんとの」スパゲティとは似て非なるものかもしれないが、散々ほんまもんを食べたあとで、そのニュアンスをアレンジに加えてみたらうまかったよ。オウチ自炊メニューとしては簡単だからキミらもためしてみなさい。
 たっぷりお湯湧かす。スパゲティはもうなんでもいいんだけど、たまたまそこにありました、というのがいいと思う。わざわざ買いに行くとか、そのわざわざ感はナポリタンには似合わない。具も冷蔵庫にあるもの適当。ベーコンでもいいし、ウインナーもいいし、オリジナルにこだわるなら魚肉ソーセージだけど、それもわざわざ買いに行くというのもおかしい。あるもんで。あとタマネギ、ピーマン(色問わず)、きのこ(種類問わず)なんかがあればオーケー。ではお湯湧きました、麺投入してアルデンテまで待とう。その間にたかのつめをオリーブオイルで炒める。おれはやや黒くなるまでやっちゃうけど、お好みで。そして具材を続けて炒める。軽く塩。しんなりなったら「日本の<ナポリタン>」の素=トマトケチャップをくじゅーっとフライパンへ。そして、ここからがちょっと違う。麺の茹で汁をおたまですくって一杯。赤ワインの残り物をその半分くらい。フライパンの中が一気ににぎやかに。アルデンテの麺をフライパンへ。茹で汁もひとつ。あとは炒めじゃなく「からめ」て水分を飛ばす。はいできあがり。パルメザンを散らしていただきま〜す。たかのつめがあるからタバスコはいらんと思うが、好みで。これは、かなりうまいと思います。
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2005年08月10日

南部をめざせ'03 Hi&Stax

<脱国境音楽家としてメタ・レヴェルからアメリカ南部黒人音楽を見てみる。これしかないねん、というのはそれはそれで認めもしてるし、カッコいいとは思う。ただ世界音楽を経験したあとに、つまり一周まわったあとにHiやStaxの音を聞けば、また別の価値を感じる。メタ・レヴェルというのはそういう意味です。ブラジルやキューバの音楽の完成度と比べても、種が違うから一概に比べられないが、これはこれで非常に高いと思う。ただ、時期的に無性に聴きたくなるよね、というのはカオルちゃん(カオリーニョ藤原氏)とも話したこともある。芳醇な音楽である>



<南部をめざせ'03>
 この時期にこんなタイトル、恒例化してしまいました。なぜでしょう?答はこの時期の湿度でしょうか。いやそうでしょう。六月になって梅雨入りして、じっとしてても汗ばむ季節、いきなりベランダにて、梅雨の一休みな時期にぱんつ一丁でビール飲むなんてのもそりゃーいいんだけど、たとえそんなことをしていてもしなくても、アタマの中で鳴っている音というものがある。音楽に貴賎も上下もないんだけど時節柄合う音というのがある。どーしようもなくね。それはなんつってもアメリカの南部の音といわざるを得ない。普段さんざんアメリカうんこして死ねとか最低とか悪口いってるにもかかわらず、ここだけは良い。まあブッシュの戦争に小泉が賛成したからっつっておれは世界の人々からその一員と思われるのヤだから、というような同じ事が言えて、アメリカ全体がカスというわけでもないのだ。過去のアメリカは「すんばらしかった、特に音楽はね」。盟友カールフィンチ(BRAVE COMBO)だってアメリカ人だしね。ただカスな部分はどんどん増えてるわけだから、その良い(良かった)部分っちゅうのは余計貴重なものとして受け取られるべきだね。
 コクがあってタメがあって、ゆったりしてて(レイドバックなんて言葉があった)しかし、キメはびしっと。豊かさを絵に描いた(?)ような音。重たい空気の粒子がゆらゆら揺れてるような。そして吸った息に含まれる蒸気によって身体の内部から潤ってくるような。
 過去何度も南部を目指した白人ミュージシャンもさることながら、目指すってからにはその目指す先と云う目標があるわけで、今回そのゴールとも言える2つのレーベルのことをちょっとね。
その1.
 メンフィス・ハイ・サウンドはまず、そのドラムの音である。なんといっても。ドッドッというイントロに多用されている、スネアとベードラでもう熱くなっちゃう。そしてあくまでシンプルで重たいビート、オカズもそりゃ必要最低限のシンプルだがツボを押さえた、あくまでも熱を体内にタメにタメるような。オーティス・クレイやO.V.ライトなんていう素晴らしいヴォーカリストのバックでその「ハイ・リズム隊」がシブくもあっつい演奏を繰り広げているわけ。そのオカズにしても、ムダは一切なし。最小限の音数で最大限の効果。現在のリストラ社会のお手本のような、しかし引き算でそうなったわけじゃないという、稀に見るタイプのドラム。意外かとは思うけど、「JAPAN」のドラマーなんかもものすごく好きなんじゃないかな。テヴィッド・シルヴィアンの「JAPAN」ね。最近まぎらわしいな。て、いうか逆にそんな名前よくつけたな、D. シルヴィアン。ま、いいとして、そのハイ・サウンドのテーマ曲とも云ってもいいのが「TAKE ME TO THE RIVER」である。アル・グリーン作のこの超名曲はトーキング・ヘッヅやRCO ALL STARS にもカヴァ−されそのどちらも、「さすが」なアレンジなんだけど、ハイの中ではシル・ジョンソンがやっていて、これもまたまたカッコいいの。リヴォン・ヘルムとスティーヴ・クロッパーがリスペクトをはらいまくって自分達の音を構築する上でのこの上ないテキストともいえるものがそこにはあって、おれも聞く度にうーん、なんて唸ってしまうんですが、どうなのかな、ここらへんってDJのおにーさんたちが注目するにはやっぱヘヴィすぎるのかな、JBのバックもそりゃカッコいいが、この、果てしなく重たい8ビートがおれはたまらなく好きです。
その2.
 スタックスはハイと並ぶ、メンフィス・ソウルのレーベル。残念なことに今じゃどちらも存在しない。ほんとに残念だけど。スタックスはナンパである。ハイに比べるとね。でもそのある種スワンピイなところがナンパならではでいい。背後の空気が見える。「ラストワルツ」にも出てた、ステイプル・シンガーズやドラマティックス、ジョニー・テイラ−と素晴らしいシンガーがいるが、おれが一番興味深いのが、ルーファス・トーマス。娘のカーラ・トーマスはオーティスとの共演で知られるが、この親父の強烈さってない!!!!!!!!!!!!!!!!!
一体このおっさんは「種」でいうとなんなんだろう?ヒトだろうか、それともエイプの一種か、それとも、それらのハーフか?という疑問を10人中8人は持つと思われる、その人間離れしたルックスと異様な動作にほんとにびっくりするんだから。スタックスはハイよりも「ファンキー」でその後のディスコのイディオムとかがそこにはたくさんあるとおれは思うけど、ジョニー・テイラ−の「WHO'S MAKIN' LOVE」なんかを聞くと、洗練されすぎてクソとなってしまったディスコにはないすれすれのカッコよさがあって、ゾクッときてしまう。なんだか、進歩ってのは図らずも一回性であることだよなあ、と思わず詠嘆の感情にとらわれてしまうものだよなあ。

 そしてそんなものを目指して、ザ・バンドやリトル・フィートはがんばっとったんだな〜。そりゃ楽しいよな〜。

posted by おれ at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | music関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月08日

今日までの命?

<<小泉氏が総理になった人気絶頂のときのヒトリツウシン。2000年。まさに本日すべてを失うかもしれない彼だが、90%の支持率という変な状況から始まったことは覚えてるかな?でも自民党が間違いなく崩壊へと向かったことは功罪の功のほうなんだろうな、ただもう一回政変がないと改革のスタートラインに立てないというもどかしさはなんとも言えない。次の総理、岡田君かもしれないが、説明に誠意がある人間が望ましいね。さてどうなることだろう>>



<小泉新総理のこと>
 アツイひとというのはよくわかる。ただ90%の支持率っちゅうのがおれは気持ちワリイ。多様性が機能しなくなった社会のテスト・ケースとしてはあまりに予想通りでおれはなんだか恐ろしい。政治が身近な気になるというのは貢献なんだろう。ただテレビに映るという区別のなさにおいて、政治家にせよ芸能人にせよ、それをとりまくゴミみたいなひとたちにせよ、それらすべての現実的な境界がもう溶けてなくなっちゃってる、というのがぼくの感想です。ひとつだけ確実に云えることはそこには美意識のカケラもない、ということ。メディアに関わってるひとたち、こんなんでいいの?ほんとにこんなんでええんか、オマエら。
 一見多様な風なカオでテレビ番組は成り立ってるフリはしてるけど、実は巧妙に見てるひとたちを多様なものに反応できなくし、そして結果、多様なものが存在できないという社会を導いてはいないだろうか?いませんか?この大衆・情報化社会ではそのチカラ大きすぎる。さらにみんなが有効な批判性を持ちえてないから問題の根は深い。批判性をもつべきオトナは身の回りのことに追われてるし、批判性をもってもその意見が掬いとられないコドモは自虐的・暴力的になっていく。これは非常に悲しいことだね。絶望一歩手前な状況ね。おれは政治そのものより政治的なるものを憎んでいるけど、ま、そんなやつもいる。
 小泉さんの真価が問われるのはこれからだし、これは冷静に見守んなきゃいけない。ハンセン氏病のドラマチック大逆転控訴断念はパチパチだったけど、これから構造改革に着手したあとの処理でのクールさと優しさがポイントではないかな。酒の趣味は〆張鶴の純なんていってるからこれは趣味いいぞ。おれとおんなじだもん。
 しかし、靖国神社への公式参拝にこだわるところに小泉さんのすべてが凝縮されているとぼくは見ている。感情的でもあるが計算もみえる。アマチュアリズムもある。この国を覆っている安易で程度の低いナショナリズムを計算してるのかな。それよりもその問題に感情の先走りがかんじられる。靖国神社は難しい。それは靖国神社がもとからあった神社ではなく、第二次大戦で命を落とすことになるであろうひとびとのためにわざわざつくられた神社という性格をもっているためだ。神社裏の人目につかないところにはこっそり大砲とかも飾ってあったりする。日本という国は延々続いているわけではなく50数年前にまったく別の国になったことを自覚し、外にも説明しなきゃいけない。その断絶が良くも悪くも今の日本って国をつくってしまった。中国とか韓国とかはその断絶を認めていない。っていうか、それは被害者の怨念だし、だから日本の政治家の失言を耳をすまして聞きのがすまいとしてる。中国なんてアヘン戦争でえらい目に合わされたイギリスにはそんなこと一っ言もいわんでしょ。日本はある意味、加害者であることにもう何か耐えられんみたいな心情をうまくつかれてる。天皇のために死んだひとびとの命を奉った靖国に参ることがその戦死の根拠(つまり国=天皇のために)を認めてしまうことになるのかどうか、それはぼくにはうまく云えないが、そこを心情的に押し切りたい小泉氏は感情的でアマチュアだと思う。アマチュアは悪いことじゃないけど。
 オヤジぽくない首相は珍しいからがんばってもらいたいとも思うが、その人気がある種今の状況にハマリすぎてることが気になる。
posted by おれ at 11:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 一国の首相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月04日

また同じ事の繰り返しですか、もしかして?

<<また世界陸上の時期。それを直前にして、性懲りもなく、織田のバカヅラをTVでよく見ます。前回の世界陸上時(4年前かな)の時のもの。ニッボンニッポンと連呼するのってそんなにカタルシスなのか、キミらには。今の中国・韓国の軽薄ナショナリズムをキモいとは思わんのか、キミらは。それと五十歩百歩だぞ。しかも90年代からこっそり始まって最後は大手を降ってみなさん耽溺していった日本の右傾化に中国・韓国のナショナリズムが呼応したフシだってあるのだ。スポーツはほぼどれもそれに奉仕する形になる。同じマンションの隣のねえちゃんが出てりゃ応援するけどさ。ただ、こうはいっても自分の中にも得体の知れない、国家意識のようなものを感じるときもある。いったい、怪物的なこいつはなんやねん、と思うこともある。きっとなにかとなにかを混同しているんだと思うが、明確に分ける事も出来ないぐらいにそれらは複雑に絡み合っている。と、なれば、織田および織田を喜ぶイコール思考停止の集団、ってことにならないか?と問題提起しておきましょう>>


<アスリートとメディア>
 かけっこしたり見たりするのはきらいじゃない。世界のトップレベルのかけっこがおもしろかった。毎日決まった時刻の塾通いだから、膝負傷しちゃったこともあって、ふとTVをつけたりすると世界陸上をやっていた。鍛え上げられた身体が跳んだり跳ねたりするのは人間のPOTENTIALが垣間見えてなんとなく勇気がでてくる。で、見ててまるで勇気が出てこないのがそのまわりで騒いでるひとたちだ。TBS系列だったと思うが、これはTBSに限ったことではないんだけど、そのスタンスが政治状況とダブっててあきれた。安易で、騒ぐための根拠としてのナショナリズムにはもうサッカー日本代表の試合なんかで慣れちゃったけど、それが卵の黄身の部分だとすると、それを覆う白身の部分には日米同盟があるんだねっちゅうことだ。ん?と思うなら、なぜ、マリオン・ジョーンズが100mで負けたときにあんなに局をあげて嘆くんだろう。それって友人の反応だ。それもただの友人じゃなくそのお家になんかあったときは自分のことのように悲しみ嘆くそんな友人。その根拠って日米軍事同盟しかないでしょ、よーっく考えてみたらさ。ただし、その献身は一方的で、アメリカのTVステーションが日本の選手がメダルをとったり、勝つはずの選手が負けたことにそんなに大騒ぎしてるとは思えない。勝手に友だちでしょって思ってるのは日本の誰か、どこかだけだよ。これこそが悲しいんじゃないのか?マリオン・ジョーンズなんて全米的に英雄であるとも思えん。そんな一枚岩の国でもないしアメリカって。黒人・白人って問題もいまだに存在するし。なんか想定している視聴者はありもしないサルとヒトの中間種くらいなんじゃないかな。ありもしなくもないかな、五千万人ぐらいいるのかな。織田なんて、喋らんでも見た瞬間イモなサルってのはわかるから動物園の檻の中見てるって思えばまだいいけどね。田舎のサルなおんなのこたちにはそんなのも「必要」だってのもわからんでもないが。しかしサルにはTVで主観を述べさせちゃいかんよ。いや、まじで。カビラくんにしてもバカ帰国子女としての喋りというか変な芸、もう取りかえしのつかないとこまでいっちゃったね。普通にしゃべってたらそんなバカじゃないのにね。手遅れって感じだね。それにひとりひとりに変なキャッチフレーズつけるのやめたらいいのに。日本人選手ならまだ抗議もできるけど、オーストラリアの女子棒高跳びの選手なんて「美尻の空跳ぶスーパーモデル」だってさ。美尻ってなんかそれマズくないの?そんなの本人に日本語どーせ通じないし、何日かのことだし、ヤリ逃げ感覚で、やっちゃったモン勝ちでそれにつられるバカワカモノ及びバカオヤジがひとりでも増えればそれが利益ってことですか、ですよね。ひどい話だね。大体さあ、とってつけたようなつまんないドラマを注目選手にむりやり張っつけなくてもいいだろう。つい最近婚約破棄しました、なんて、なんなのよ、それ。その選手が勝っちゃったら最低のメロドラマだし、負けちゃった時なんてなんのフォローもなく放置でしょ。そんなんでいいの?ほんとに。英・仏・日堪能なトリリンガルのインタヴューの彼女と自分の世界でがんばってる選手たちに少し救われたけど、最悪の「TV番組」だった。ワールド・カップが心配になってきた。
posted by おれ at 12:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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