2005年07月01日

クソアツイ夏・五年前

◎湿気&クソ暑い今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?

 大阪の夏・日本の夏・キンチョ−の夏。ほとんど東南アジアとかわらんこの海洋性の高気圧張り出した夏は最近特にコタエル。年のせいだろうか。かつてのオナニ−も知らなかった時代のあの<黄金の夏休み>な夏というのはもう戻ってこないのだろうか。とすればサミシイ。みんなは夏・子供の頃の夏はどんな風に過ごしていたんでしょうか。オトコというか男子の栄光の時代はやっぱり小学校時代だ。ぼくの場合は少なくともそうだった。しかし、ぼくはいわゆる男の子の遊びがあんまり好きじゃなく、それは今オトナになってからもだいたいのオトコがハマる釣りとかキャンプとかに全然興味がないことからもよくわかる。何がいったい楽しいの?ってきこうとして、自分が少数派であることをふとそこで気付く。精神上で遠くに行けないヒトビトが物理的に遠くに行こうとしてやってるのがその釣りやキャンプ、いわゆるアウトドア男たちなのではないか、とニラんでる。

 また、そんなこと言って、ヒネクレもの。と思われるかもしれない。そうかもしれない。でもみんながやることを追っ掛けるほどおれもいまんとこヒマでもないし、考えてることがみんなとは(これはおれにかかわらずすべてのひとにいえることだけどさ)きっと違うはずなのに行動がおんなじっちゅうのはなんで?と思いませんか。

 子供でいたい、ってもうこんなイイ年こいていうのもそもそもおかしいし、それを望んでいるわけでもない。ただヒトには社会との摩擦・軋轢用の精神的部分と、それには使いたくない部分があるでしょ。それに使いたくない部分の『あそび』をせんとやおもひけむ部分に工夫がないとおもんない。今、どんな仕事だって代わりの者はいる。そんな仕事に命(ことばどおりの命という意味も含む)懸けて、全精力使い果たしちゃってて、残った時間にやることといったら、遊びのマニュアルのあることなんてのはつまんなくない?あ今の文章、前半はぼくらから上の世代・後半はぼくより下の世代にあてはまりそうだ。

 今日は選挙の日だった。ぼくはまたまたいきませんでした。せっかく政治を変える(しかもあなたの手で)チャンスなのに投票にいかんヤツはダメなやつ、みたいな論調が支配的です。反論は敢えてノ−ガ−ドで受けるとして、おれの意見をちょっとだけ言うとですね。どれも嫌いな場合はどうするのか?どれも嫌いなひとでもどれか「より嫌いでないもの」を選ぶ義務を果たす必要があるのか?その嫌い度において(無論これは一選挙権保持者として)よく吟味した結果どちらの側の利益も幇助することがとんでもなく嫌な場合、そのとんでもなく嫌度を示す方法で棄権以外の有効な方法がある人はどうか教えてほしい。「とりあえずう、何人かあ、いるんだけどお、どれもお、イマイチなんだけどお、しばらくのお、つなぎってえ、かんじでえ、このコとお、つきあっとこっかなあっと。」っていうバカオンナになれっちゅうのとあんましかわらん気がしてる。「そんなんで〜え、ほんとにい〜の〜お?」って、こんどはおれが質問します。いわゆるなんの組織にも属していないひと(いわゆる無党派層)の投票がない場合、組織票に大負けしちゃうというのはわかる。ではその組織票というものが存在することに対する原理的な批判、つまり個人の意志の絶対性の揺らぎ、つまり「ほんまにきみの意志で投票してんの?」という程度のもので政治の枠組みが決まってしまう愚かさ、しかしその方法が唯一の良い方法だというぼくたちの歴史的認識に対する全体主義以外のオルタナティヴの提示に関する議論がないままに政治情況だけでなく政治風土まで現状維持したままの選挙というものに虫酸が走る人々の精神的ケアはどないすんねん?以上。言いたいこと終わり。

 オトナも子供もバカはただ騒ぎたいだけ、という気がする。そんなバカ騒ぎがイヤんなっちゃったやつ、内省的になっちゃったやつのための、表現が、人殺しという方向がなんだかもう「道が」できちゃった気がすんのがぼくとしては気が重い、滅入る。その表現は「安易で稚拙」だ。ものごとをじっくり考えてると「遅れてしまう」、人より早く物事を始めたほうがイイ目にあえる、いそがなきゃっていう、アムウェイ的な考えが支配的だった5年くらい前までのこの日本という国のノリのつけを支払わせられてる気がしてる。

 とすれば、しょうがないのか?大きなものが小さなものをイジメる。小さなものはもっと小さなものをイジメる。大体そんな構図が多くて、ゲロゲロなことはかりだけど岡山の高校生の事件、なんかぼくは結構感情移入してしまった。年下のしかし、集団での精神的・肉体的ハラスメントに対して、バットで殴ったってのはこころの中で実はぼくは喝采を送ってる。それは他の事件のような、自分が弱者であることを認め、それに甘え、そしてある種の欲望を自分よりもより弱い者に向けた、というのとはちょっと違うからだ。同じ17才だからってことでいっしょくたにしてしまうのはオトナの怠慢だとおもう。彼はイジメられてたみたいだし、それに対してその当事者と闘ったわけだからそれはきっとあとから情況の中でこれは効いてくる、と思う。もっとわかりやすく云おう。イジメる側は、今後はその相手がキレたら殺されるかもしんないっちゅうリスクを背負うってことだ。そこでは集団の優位性は凶器を持つ相手には機能しないからね。おれはその岡山の彼は好きだ。ママを殺しちゃったっていうのも、これは見方を変えるとまだその家庭は家庭の機能がかろうじて残ってた証拠だ。そのあとのママの辛さを解消するためにっていうのもある意味泣かせる。そこにはすでに崩壊してしまったはずの「愛」とか「家族」の名残りが見て取れる。これはギリシャ悲劇的悲劇だと思う。古典的な悲劇。そのあと「北」へ向かったというのもいい。なんか昭和の匂いがするっていうか。大体昔(ちょっと昔も含めて)から止むに止まれず罪を犯してしまった者は「北」へ向かったのだ。

 ぜひ彼には更正してもらいたい。いや、きっとできると思う。

 
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posted by おれ at 09:56| Comment(1) | TrackBack(1) | 社会的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Posted by みんなのプロフィール at 2005年07月24日 17:44
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