2005年10月20日

トレッキングon 熊野古道

<<2004のちょうど今頃、ちょうど試験明け。去年もよく働いとったっちゅうことかな?やな>>

「気がつけば熊野古道が呼んでいた」
 三週間連続で働いた。もーやっとれん。この精神・神経の疲労をどうしてくれよう。この二日間の休みは逆療法でハードに過ごそう。やっぱり熊野しかないわけだった。
 古道を歩きたい、と漠然と思った。あたらしやさんは本日も空いていたわけだった。先日の台風・豪雨でR168のあの衝撃的な映像がTVで流れてたこともあり、またR169も土砂崩れありとのことだったので、山道は今回止めよう。こんなときに敢えて「山を走るぜ!!!」なんてやつはばかだ。自然を過小評価しちゃいかん。熊野はヒトの小ささを教えてくれる。こんなことも後白河上皇ぐらい熊野詣しないと「近代」のアタマではなかなか理解できないんじゃないか。都会人の近代にまみれたフヤケ頭じゃピンと来ないかもね。あいにく雨が降ったり止んだりで必ずしも絶好のコンディションとはいえないが、考えてみよう。かつての熊野詣は京都から1ヶ月かかった。その間には考えられる限りの天候を人々は経験しただろうから。行くっつったら行く。これが熊野詣のノリなのだ。
 難所といわれる大雲取越えを歩きたいと思った。スニーカーと滑って転んでもいい服に着替えて熊野川町の
大雲取越えのための入り口から入る。ひたすら雨で滑る苔むした岩を気をつけながら上っていくと早くも汗が吹き出て杉の隙間から落ちてくる雨粒とでTシャツはびしょびしょになる。熊野川町から入ったから実は本宮を背にして歩いていることになる。途中に標識があって那智まで14kmとある。とてもそれは無理だ。しかし、なんとなく距離感がつかめた気がした。足元がおぼつかなくて、しかも滑るから下ばかり見ながらでないと歩けない。結構足きてるから少し休みながら行くことにする。顔をあげれば、前方に木々の間から相対的に明るい空が垣間見える。上りは割りとすぐ終わるのではないか、と錯覚させる。そんなわけないんだけどもね。何度か膝にきて休まざるを得ないことになったんだけど、不思議なことに少し休むとまた歩きたくなる。ふと振り返ってみると上ってるときの視界とは違う。視界は広がり土と苔と木々と岩がなんともシックなコーディネーションだ。空はこちらからは見えず、雨も降っているからか昼なのにとってもダークだ。熊野古道でなけりゃ無気味なのかもしれない。たばこを持ってくるのを忘れたがかえって良かった。また上り出す。上るわけだけど、休んだり下を見たりを繰り返しているうちに、途中から「これは道じゃない」と感じた。険しい獣道という意味じゃなく、いいやたしかに険しいんだけども、身体は確実に疲れてくるのだが、それに伴って脳内物質もピュンピュン分泌されているわけで、方向は違うが、楽にアタマを中世にタイムスリップさせることができそうだった。わかったことがあった。
 一遍聖人が熊野大権現に出会ったのもこのあたりではなかったか。その奇蹟にケチをつける気はさらさらない。しかし、今熊野大権現を目指しただひたすらこの難所を滑りながら歩く者がいる。たった一時間ほどてこの汗とこの膝なのだ。クッションのいいスニーカーもない、草鞋(わらじ)でのこの道は想像もつかないハードさだろう。ここまで一般のひとびとなら出発地にもよるがもう十日以上は歩いているだろう。その疲労と苦痛こそが奇蹟の要因であることがよくわかった。そしてみんなは熊野大権現に恋焦がれているのだから。
 先ほどふと感じた「これは道ではない」という感覚。それも正しかった。何かに守られているのだ。直立する杉の木々と苔と岩と土、もっというと草陰にいる虫や小動物、さらに次の曲り角の大きな杉の陰に潜んでいるかもしれない熊にさえ守られているということだ。そしてそのモノ・生き物こそが熊野大権現の化身ではなかったか。善悪の二元論的解釈をするなら「ダル」という否定的な存在(妖怪?)もある。しかし、それも御愛嬌だ。これこそ、神武東征の時の熊野の毒かもしれない。しかしその時に神武一行を救ったヤタガラスが導いた道こそ、この熊野古道の原型だったのではないか。
 いろんなことがクリアになっていき、帰りの下りの濡れた苔だらけの岩を滑って後頭部強打する想像からも自由になりかけたとき、長く続いた石段を上り切ると道がふーっと平坦になった。
 夢でも見てるのかな、と最初は思った。まあアタマは千年前まで行っとったわけだから少々適応できなくてもしょうがないとも思ったが、目の前の光景がやはりにわかには信じられず、しばらくぼーっとしていたと思う。
 あまりに美しすぎて声が出なかった。それが円座石(わろうだいし)であるのに気づくのに10秒ほどかかったと思う。梵字が苔の中に彫られてあり、これは熊野の神々がここで、談笑した巨大座ぶとんだった。阿弥陀仏、薬師仏、観音仏がその梵字の意味なのだった。ここは果たして天国か、それとも・・。と、その時は素直に思えた。しばらくただただその石を見つめ、完全に身体が回復したのを確認してさらに上り始めた。
 なんだかすごく元気になっている自分がいたが、それから15分ほど歩いて中根旅篭跡までて引き返すことにした。杉木立により軽減されてはいるが、雨が本格的になってきたことと、やはり、きっとワラうであろうこの膝で急な下りはこれ以上上ると自信がなかった。
 下って円座石(わろうだいし)のところまで戻ると声が聞こえて来た。50代くらいのカップルが石のところにいた。初めてひとに会った。向こうが挨拶してきて、思わず「ここ天国みたいじゃないですか」と声が出た。
 足元に気をつけながら降りていくが、膝はかなりのワラい方で途中何度か立ち止まった。たしかに道ではない。何か未来的だと思うし、細長いドームを連想させる空間なのだ。中世と未来がくっつく例はいろんなところで見ているが、その間にある近代という時間帯は人間を結局スポイルしただけだったのかな、という疑問もうまれてくる。きっとそうなのだろう。近代を養護するものは相変わらず無反省に大きな顔で存在する。科学・技術・定理・公式・原理・・・・・・。しかし、確実に人間は行き詰まってしまってる。そこでプレモダンに退歩することは敗北なのだろうか。そうは思わない。行き詰まるような近代を支える前述のすべての事項はゴールではないのだ。常にリニューアルされていくものなのだ。つまり、一番もっともらしい「嘘」というのが近代を成り立たせている根拠なのだ。だから近代は砂上の楼閣であるという仮説は説得力を増すわけだ。
 この、目に見え、耳に聞こえ、肌に感じ、鼻腔に匂うもの、この実感は決して無視できるものではない。
 びしょ濡れになってサーブまで戻ったが、何かしばらく呆然としてクルマのキーを回せなかった。

「参考」ものの本によれば;
 「大雲取越え、小雲取越え」は、また「死出の山路」とも呼ばれ、そこを歩いていると、亡くなったはずの肉親や知人に出会うといわれています。疲労困ぱいのなか、幻覚を見るのでしょうか。昔は行き倒れになった人も多かったらしいです。ダルという妖怪に取り憑かれたという話も伝えられています。
 紀州が生んだ世界的博物学者南方熊楠(みなかたくまぐす)も雲取を歩いていてダルに取り憑かれたことがあるといいます。
posted by おれ at 15:01| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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