2005年10月28日

デッドエンドストリート

<<去年の今頃の号から。路地の再開発情況に特に進展はない。変化があるとすれば、自分か?>>
「2005年の11月6日、最後のデッドエンドストリート祭りです。ちょっと早いが忘年会的な。屋台・DJ・踊り・ライヴ・ワイン」

 いわゆる仲秋というもっとも気候のいい時期になってきましたね。
 お初鍋始めますからね。2F/ 3F要予約です。
 梅田の再開発。そんなもんしなくてもいいと思うが、金儲けしたい不動産・土建屋多いみたいね。やっぱり。そんなひとたちが考えること。「ビル建てよーぜ」
 トドムンド界隈も水面下で進行してたことが顕在化してきつつあります。沖縄そばもなくなっちゃったしなあ。新御堂側はどんどん切り崩されてきてる。この露地の1本北側のピンク系の店も多い露地は立ち退きが決まったみたい。もうすぐニュー・ミュンヘンとデッド・エンド・ストリートの店だけになるのだろう。この露地とかトドムンドの「ありえなさ」がひしひしと身に滲みますね。いつまでも、とは思っても時の流れには逆らえない。デッド・エンド・ストリートの土地を持ってる方がトドムンドの大家さんでその情報は前々から聞いていたんだけど、このデッド・エンド・ストリートだけはまだそんな話になっていなくて現実的に言っても最後まで残りそう。ただそんな時のことを考えると、けっこう興味深い。高いビルに囲まれて、トドムンド及びデッド・エンド・ストリートの店が営業を続けてて、昼間は廃虚みたいに見えるんだけど、暗くなるとどこからともなく人が集まって来、世界の音楽が流れ、料理が出され、ワインが何本も抜かれ、賑やかな歓声がこだまし、歌が歌われ、さまざまな言葉が飛び交い、それはさながらパリ5月革命の自治解放区のようでもあり、怒るやついれば泣くやつもバカ笑いするやつもおしっこ漏らすやつもいて、横ではネコたちが勝手にくつろぎ毛繕いをしながら、人間ってやつは・・・なんてクールな視線を投げかける。そんなことになればよろしいですなあ。

 街を面白くするには、これって案がおれにはあって、それは何かというと一時間に1本でいいから深夜にすべての電車を走らすこと。そういう署名活動をしてもいいと思ってるぐらい。私鉄・JR・地下鉄すべてに対して。街に活力が戻ると思うし、深夜の時間に限ってはきっと赤字にはならないと思うがどうか?
 赤ワインが美味しくなってきたね。それもそーだけど、赤でも白でもない「緑ワイン」を入れました。興味ある方飲んでみてくださいね。あとグラッパ。そしてシングル・モルトも是非秋にうまい酒だね。焼き牡蠣にタラモア・デュ−を垂らしたのを肴にね。プレモダンでモダンを、トドムンドおよびデッド・エンド・ストリートで越える試み、あなたもいかがですか?何のことかよーわーらんって人にはおれが今度説明したげるね。

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2005年06月29日

<トドムンドを撮った映画へのオマージュ>

<トドムンドを撮った映画へのオマージュ>
 雨池十八丁目は存在する。文学的なレトリックではなく。現実の名称を「曽根崎デッドエンドストリート」と云う。お初天神商店街を南に下り悪名高きワンワンランドを左に折れ「露地」に入り熟女倶楽部をやりすごしカップル喫茶を通り過ぎればさらに小さな「露地」が現れる。ひっそりと数軒の店が軒を連ね、噂では「曽根崎キッド」なる希代のトリックスターが出没する。時間の流れがそこだけ異なる。映画が虚構であると同様に街も虚構である。しかし、だからこそ同時に2つの夢を与えられる「露地」なんて貴重である。
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2005年06月17日

<<考察:飲み屋としてのTodo O Mundo Numero1>>

《飲み屋としてのTODO O MUNDO numero 1》
 さて、飲み屋である。TODO O MUNDOは11pmからは飲み屋なのである。では「飲み屋の定義っちゅうのは何か?」
 あるとき、よう来る客の某ワカモノがケ−タイで「ほら、いってたやん、あのウメダの飲み屋よ」と、この店のことを喋ってるのを聞いてちょっと気分を害したおれだったんだけど、そいつの言う飲み屋と、おれが云ってる飲み屋というのは少し違ってる。コロナ・ビ−ルしか飲まんようなヤツが「飲み屋」などという言葉は使っちゃいかんのだよ。ばかめ。慎みなさい。「飲み屋」ではサケを飲め、サケを。飲めなくても飲め。おれが云ってるサケっちゅうのはだな、スピリッツをロックで飲むとか、カクテルでもいいけど飲む意味があるサケを飲めっちゅうこと。ここはテキサスじゃないんだぞ。ビ−ル複数注文禁止令を発しようかともおもってます。ウソだけど。でもね、せっかくいろんな種類があるんだから(おれの好きなモンばっかだけど)他所で飲めんもんをぜひ飲んで欲しいと思う。

 例えばピンガ、ブラジルの荒い砂糖きびのサケ。これで作る「カイピリ−ニャ」。例えば、タラモア・デュ−、アイリッシュ・ウイスキ−。例えばロン(スペイン語でラムの意)サカパ・センテナリオ。例えば、チリ・ウォッカ、ナッツ・ウォッカ、チェリ−・ウォッカ、ズブロッカ、またはそいつらをブレンドした「ワルシャワの月」というカクテル、または音楽好きなら、ニヤッとせずにはいられない「レッド・ホット・チリ・ペッパ−」なるカクテル。

 弱い人にも大丈夫なものもたくさんある。ピ−チ入りラムのフロ−ズンとか、弱けりゃラム少なめにって言ってくれてもok。意味のあるサケというのはこういうものを指す。おれの中ではだけど。メニュ−になかったとしても、レシピ言ってくれたらできる。そして酔っ払って少々失礼ぶっこいてもそんなやつならおれはユルス。二階の座敷でいびきかいて寝ててもユルス。

 同じビ−ルでも、日本一旨い地ビ−ルである独歩とか、新しくでた、ドラフト・ギネスとか、こいつらはほんとにおいしいから入れてるのであって、飲まない手はないぞ、皆の者。いや ほんと。コロナになんかカッコ良さを感じているイナカもんはどっかでス−パ−ドライに「ゆずぽん」かなんか入れて飲んどけ。
 
 メキシコの人々ごめんなさい。あなたたちになんの罪もないのよ、ユルシてね。
 さて原点に立ち戻ってみよう。自分の好きな酒場(TODO O MUNDOとは「和洋亜現古未来折衷酒場」である)は自分でつくるしかないねってことでこさえたお店ですから、自分だったらこうしたい、というのはある。
 
 夜の11時すぎにふらっと一人、または女ヅレ、または会話が熱くなれるような同性と来る。そしてお腹はそんなに空いてはいないから、初めはまだ何も頼まず独歩のデュンケル(濃い方)かドラフト・ギネスを注文。メシと一緒に飲む訳じゃないから、イッキ飲みはしない。よく焦がされた麦とホップを味わう。重たい水。そして飲んでるうちになんか口が寂しくなってくる。オイルサ−ディンまたはチ−ズの盛合せなどを頼む。するとワインが欲しくなる。シャブリ!と見栄をはりたいところをソアヴェにする。あ、でもこっちの方が辛くて実は気分だった。めでたしめでたし、と勝手に喜ぶ。チ−ズといわしをクルミバケットに「のっけ」で口に運ぶ。あ、気がついたら、ソアヴェのデキャンタがもうなくなってた。もう少し強い酒が欲しくなってくる。どうしようか、と思いながら、お店のネエさんに相談する。

 ネエさんはテキ−ラなどはドウカ、などという。すこし意外な気がしたが、よくよく話をきいてみると、テキ−ラくさくないテキ−ラがある、という。あ、そう。じゃ、それイッテみようかな。レモン・トゥイスト添えで。

 TwoFingersというブランドらしい。飲んでみる。ほんとだ。するりと喉を通過していく。そしてやっぱり最後にはテキ−ラの匂いが舌の奥にのこる。でもうまい、これ。もうひとつ頼む。ラテンのサケを飲んでると、どうも欲しくなるアテがある。それはフル−ツである。で、なんかないか、とネエさんに尋ねてみる。

 マンゴ−とパイナップルぐらいならできる、という。じゃあ、ソレイッテミヨ〜、と自分でもびっくりしたけどカルクなってる。ついでにこんどはパンペロ(ラム)も頼む。パインとパンペロってのはナイス・ミックスだ。なんかナミナミとパンペロが注いであって、ネエさんに「アイシテルヨ」と心の中で呟く。どんどんナミナミ度がアップしてくるのがいい店の共通項だ。そして、ついにズブロッカを頼んでしまう。

 不思議なことに一瞬このサケは頭を冴えさせる。ラテンのサケのおかげで身も心もアミ−ゴ・アモ−レ化してしまったバカ頭に「しゃきっとせんかい!」とワルシャワの造船労働者の厚さ1インチ・ムスタァシュおやじから「かつ!」を入れられたみたいに一瞬冴える。ジュ−シ−なフル−ツと、とろとろのウオッカの組み合わせが、本日のどの組み合わせとも違っていることをわかるほどの味覚的理性はのこっている。とろとろのウオッカを直接のどの奥のほうに注ぐ。トイレに立ち、階段急やねん、これが。上までもうちょっとのところでつんのめり、しかし、そ知らぬ顔で帰ってくると、「大丈夫ですか?」とはネエさんの発言。

 バレてた?木造家屋は音がよう響く。ちょっとアシにきてるかな。でもこの酔ったボケ頭で考えたことは少なくとも、このクソ現実を支配している概念よりは高尚だし、言わば別の進化を経て辿り着いたもうひとつの宇宙のようなものだから、それが泡と化しちゃうか、何か希望の光の糸口にするかはそのひとしだい。最後にうまいマンデリンを入れてもらって覚醒して、クルマぶっ飛ばしてか〜えろっと。ごちそうさま。
 
 さて、今みてきましたように、いい酒飲みというのは、酒ならなんでもよく、また、ただ飲み続ければいいというのではなく(それはアル中)あるサケがちょいと求めるアテがあるでしょう、そしてそれがひとつの満たされた状況をつくる。すると、そこに安住するときだってあるが、そこから別の展開も見えてくる。体調がいいとそうなる。そして別のサケを飲む。するとまた別のアテを求める自分がそこにはいる。そしてさらに別のサケを、、さらにアテを、サケを・・・・・・・おもしろいのはその状況の展開度数は回を重ねるごとにそのワ−プの度合いが1・・・3・・・6・・7・・そして最大ワ−プ9ぐらいまで行っちゃうこともある。話も(というか思考も)それにつれてどんどん拡がっていく。

 「さっきあんなこと考えてたのに、なんで今こんなこと考えてんだ?」
 「さっき地球にいたのに、なんで今デルタ宇宙域にいるの?ねえどうしてどうして?」
といった思考における star trek voyager化現象といわれる(おれがいってるだけだけど)事態を生じることになる。でもね、
 「ここから地球までは何万光年もあるよ〜、え〜んえ〜ん」
って泣く必要もないんだもん。30分ぐらいで帰れるよね。その、サケとアテと思考の「トライアングル・いたちごっこ」こそが酒を飲む醍醐味である、と強調いたしまして、本日のレクチャ−を終わります。 
 TODO  O MUNDOにサケ飲みにもきてね。もちろんメシも旨いんだけどさ、時間差攻撃をお待ちしております。
posted by おれ at 16:01| Comment(0) | TrackBack(1) | Todo O Mundo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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