2005年09月15日

夏が終わればサンマが待っていた


<夏はヴェランダから終わるんだが秋はサンマが待っていた号>02初秋
<<一昨年の夏終わり号より。


 いや、しかし、抗ってもしょうがなかったね、この夏の暑さ。人間の限界・無力感を強く感じる。外には出る気力が失せる。よっぽとイイおんなかなんか待ってないと、ね。しかし、クーラーの中にばかりいると、なんだかストレスが溜まるでしょう。基本的に汗かくのはすきなのね。こんなとき、なにもかも忘れてしまえるような激しいセックスいいですね。みんなー、セックスしてるぅ。お酒、まあ、飲んでも飲まなくてもいいけど、涼しい部屋でその涼しさがぶっとんじゃうくらいのセックスをする。まあ、そこの描写はそれこそ人それぞれだから、やめとくとして、ふうっ、イっちゃったあとカラダを離し、かいた汗を冷気に引かせる。けっこういい時間でしょう?これって。おれさあ、思うんだけど、なんかこの閉塞感だらけの世界で身近にヒトを解放してくれるもののひとつとしてセックスって結構いいんじゃないか、って思ったりもする。かのイアン・デュ−リ−大先生も「セックスに薬にロックンロール、まったくいいもんだぜ」とおっしゃってる。イアン・デュ−リ−大先生の偉いとこはそんな歌を作ってブロックへッズなんてバンドも作って、それを崇高かつ、かっこいい表現まで高めたとこがほんとは偉いんだけどね。ian.jpg
 しかし、と、かの大先生も云ってるぐらいだから、おれたちもスケベギンギンでもいいし、技巧に溺れてもいいし、ただただ、「いいセックス」をしましょうよ。人は最初も最後も裸だよ。
 思うんだけど、あ、これは前号の続きっぽいかもしれませんが、ジェンダーの溶解に伴って、オトコでなきゃ・・・・なんてことがほんとになくなってきた。にもかかわらず、巷ではオトコだし、とかオトコだから、(とかオンナのくせに・・ってのはさすがにあんまりないかな最近)なんて根拠で勘違いな行動をしてるバカオトコ・バカオンナがまだまだ溢れてる。ほんと、どーしよーもないバカが多すぎるんだけど、もう一回いうけど性差というものは現代においてはもう生物学的性差、つまりセックスにしかありません。ばかはばかなのでしょうがないし、そのばかカップルにはどーぞ幸せに、BGMは「あゆ」だよね、ってくらいしか、いえないけど、そこを曖昧にしてるオトコと今付き合ってる理性溢れるルックスグッドなオンナのこたち、はやいとこ、二股なり三股なりかけるかして、そいつを相対化しとかないと、エライ目にあうよ。幸せを掴むためには世の常識に囚われてちゃまず、無理。その常識の一部をジェンダーも担ってたわけだしね。その根拠(常識とされるもののね)はぐらぐらしてます。もう5年ほどのイノチかも。その時代にハマり過ぎた者は次の時代生きれないのよ。これ生物学の「常識」。
「おとこだから・・」っていい続けないことにはもう「もたん」ちゅーことね。そんなこといい続けないともたないおとこがじゃあ何になるのか?「おとこ」じゃなくなったら、という疑問ありますね。答えよう。
 それは「おばさん」になる。おかまって答は積極的におとこやめてオンナをめざす際の明確な意思に基づく選択。これはりっぱよ。それに対しておとこを志向しながらママとかの手助けも借りながら「おとこだから・・」っていい続けてもダメだった場合、それは足元から「おばさん化」していくんだぞー、という予言をしておこうね。御愁傷様。
posted by おれ at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 夏の終わり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月06日

夏が終わってあいたたた

<<2001の夏の終わりに。異常な暑さだったよ、この年の夏。アタマ狂いながら生きてました>>

 毎年びっくりするね、夏の暑さには。通常の天気予報が終わって世界の天気で各地の最高/最低気温を見てたら、エジプトのカイロの最高気温が37度でアナウンサーが「すごい暑さです」ってコメントをいいやがったが、そのお前のクチは一分前に大阪の最高気温37,7度っていうたんちゃうんかい。地球の裏側みたいな他人事口調やめんかい、って怒ってたおれだったけど、その怒りは1分もモタず、無表情化し、立ち上がり、冷蔵庫へ向かい、缶ビール取り出しプシュッ、グラスに入れるのももどかしい、チョクで喉の奥深く流し込み、あまりに大量に流し込んだためにそれは大量に泡化して苦しかったけど、一旦クチに入れたモノは決して出してはいけません、とおばあちゃんにいわれて育ったおれだったからクチぱんぱんになったけど意をけっして飲み込みその直後の大量ゲップも周りに誰もおらんことをいいことに思う存分できて、さっきのアナウンサーの顔の前でやったろか、などと、おばあちゃんに知れたらえらいことになるが、当然彼女は今天国、いや、いまおばあちゃんのことを「彼女」だって、なんだかケツがカイーような変な気分だが、エーゴでいうと女性代名詞は「シー」だし、「シー」を和訳すると「彼女」に決まってるわけで、なんとアメリカ・イギリス人たちはミもフタもない言語生活をしているのかなんて呆れちゃったが、たばこに火をつけ、もういっちょうビールグイグイ飲みしてみたらやや身体の芯がひえ、少しはましになったかのような気にはなったが、よく考えてみればやっぱりまわりの気温は37,7度なのである。
 参るよね。
 毎年書いてるけど塾は夏期講習というのがあるからほとんど身動きとれないけどライヴもあったことだし音楽ガラミの人生でひさしぶりに昔みたいに楽しかった。昔は夏といえばカリビアン・カーニヴァルだあカメレオン・ナイトだあ脱国境の夜だあラフレシア・ヴィーヴォだあと忙しかった。体力も人気も落ちてるからしょうがないけど、でもひさびさ、そんなニュアンスの夏でしたがキミらはどーだったろーか?最近思うのはね、こんだけ暑いとたいがいのことがもうどーでもよくなるでしょ。すべてに投げやりなムードが漂うじゃない?投げやりとはいかんまでも、なにか積極的に事を始める、とか、あるいは事に抗うとか、そんなことがもうほんとにどーでもよくなる。ただしい人生とはいえんのかもしらんが、しかし人間でいるのがツライというかそんな感じないかなあ。人間でなくなるっちゅうのは一体どーゆーことやねん?と思ってるやつがいるかもしらんので言うと、概念として動物か機械のどちらかに限りなく近付くことだ。人間てもとから動物やんかー、なんていう低能なつっこみヤメロよ。自分が牛やブタだったらヤでしょ。ま、ほんとのところ、その境界線はたぶんに恣意的ではもちろんあるんだけど、ヒト=foodなんてこともあり得るからね。人間はストレートに動物でいることができないから不幸なわけよ、これが実に。ストレートに生きれたらどんなに幸せだろう。それは欲求をストレートに体現することで、そーなると弱肉強食の世界でいつ命が中断するかもしれないわけで大変なんだけど、でもしかし、想像力によるところの恐怖はないからこれが端的にいうと「死んだってハッピイ」ってことなわけですね。いや違うか、「死ぬことがハッピイ/アンハッピイのどちらでもない」ってことね。で、この、人によっては中途半端に備わっていることでそれがとんでもない不幸の原因になる想像力、厄介だ。厄介だと、遅かれ早かれひとは気付く。それに大抵耐えれなくなる。そして人はどーするか。それを制御できなくて犯罪を犯すか精神病に逃げるか、それを全封印してマシーンと化すかだ。おれ、極端なことをいってるって思う?現象としてはそりゃ極端かもしれないが多かれ少なかれ心の中はみんな「somewhere in between」ってことなんじゃないのかなあ。さらに厄介なことに以前だとすべてを封印のマシーン化には終身雇用による現実的メリットがあったんだけど、最近合理化による年棒制導入とか首切り(リストラなんて言葉、コノ世から追放したいね)がどこの企業でも進行してて、このウン十年間の自分のマシーン化は一体なんのため?っておとうさんやおにいさんも激増中。なんといっても失業率5%超の時代だからだ。そのひとたちの再就職の問題もさることながら、その情念は一体どこへ向かうのか?という不気味さの方がぼくは気になる。「おれはちゃんとやってるのになぜ社会はおれのことを認めようとしないのか?」そう簡単に人間は客観的になれるものじゃない。とくに最近の「おれ・あたしだけは・・・」的な、ばかでもなんかできるんじゃないかって思わされてなんかの学校行ってなんかになるべき、なんて成功が結構身近な感じにばか相手には思わせといて、金使わせたあげく、やっぱ世の中そんな甘くなく、誰もがそんな甘い考えで一ケ所に集中するもんだからイス取りゲームでイスひとつにヒトいっばいな状況で結局使ったお金と時間は水の泡、でそれをさんざんアオってたオトナはシラン顔。いい例が「キャッツ ミュージック スクール」。今やどう見ても<J POP>を「真剣に!」お勉強しているとしか思えない様子だ。そもそも音楽というのは「せーの、で習ったりする」ものなのか?クラシックを習う。それはわかる。ジャズの理論を習う。それもわかる。それは過去の音楽家たちが理論化してちゃんと紙に書いてあるものだからだ。そしてそれらはほとんど評価が決まっている、ある意味イッツ ヒストリーだ。だけど例えばドラムのアフターピート(タメのある8ビート)とかバイーアの音楽はサンバの音の組み合わせをどう発展させているかとかマンボの遅いのがチャチャだとか日本のルンバはうそでキューバの本物はどんなんなのかとかクンビアは肩を脱力してノレだとかイギリスとアメリカのロックの本当の違いとか「本当のR&B」とはどういうものを指すのかとか、マニアックになっても通じないからサワリだけにしとくけど、最低でもこんなことぐらいは教えなきゃ「ミュージック スクール」って看板が笑い者じゃないだろーか。先生として行ってるやつだってわかってんのかおれは疑問だ。生徒の裾野を広げるための素材やら目標やらが<J POP>だったとしたら、そんな「悲惨」を拡散すること、しかもお金を取って、なんて詐欺に近い気がするがどーか?閉ざされた国の中の典型的な話ですごく暗くなる。いつだったか、おれも非常勤講師で自主レコードの作り方なんてのを講義しにいったことがあるが、生徒の質なんて、いやーほんとにおれの気分で殴ったり蹴ったりして悪かった、マルタニ塾の生徒たち、これからはもっとやさしくするからね、いやほんと、っていうぐらいキャッツのやつら最悪だった。しかし状況はその当時のほうがきっとまだました。結構ハキダメな専門学校のニュアンスだった。今とかなんだかプライドもっちゃってる感じ。そして「真剣にJPOPをお勉強してる」みたいなのがキモい。それが経営としてもかなりうまく成り立ってて、どんどん江坂で校舎が増殖してんのもうっとーしいことこの上なしだ。
 同様の気持ちわるいことはまだまだある。もうひとつだけ。雑誌で見かけた「アニマルナース」という職業のための専門学校。要するに動物病院の獣医師の補助的作業なんだけど、別にアニマルナースじゃなくってもいいじゃないか。わかったかわからんような言葉で本質をずらすってのもうやめようよ。アニマルナースって言葉になにか夢のような付加価値ある?そんなものさえもないときにただエーゴに置き換えて本質をずらかくす手法って今どきこんなもんにだまされるなんてよっぽどのバカだから、なんというか同情の余地もないけど、しかし、このインターネット万能の時代だからこそ、実は正しい情報がなかなか手にはいんないことを逆手にとるような汚らしい手法にはほんとうにムカつくね。おれはなんだかしらないけど、動物相手のファッション・ヘルス的なものを連想してしまったじゃないか、そんなのって変かなあ。でもそんなのの方が特殊技術の要る「職業」って感じしない?イヌはこうやんないとイカないのよ、なんて解説されると「おー」なんて尊敬しちゃいそうだ、おれなんて。
posted by おれ at 18:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 夏の終わり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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