2005年09月06日

夏が終わってあいたたた

<<2001の夏の終わりに。異常な暑さだったよ、この年の夏。アタマ狂いながら生きてました>>

 毎年びっくりするね、夏の暑さには。通常の天気予報が終わって世界の天気で各地の最高/最低気温を見てたら、エジプトのカイロの最高気温が37度でアナウンサーが「すごい暑さです」ってコメントをいいやがったが、そのお前のクチは一分前に大阪の最高気温37,7度っていうたんちゃうんかい。地球の裏側みたいな他人事口調やめんかい、って怒ってたおれだったけど、その怒りは1分もモタず、無表情化し、立ち上がり、冷蔵庫へ向かい、缶ビール取り出しプシュッ、グラスに入れるのももどかしい、チョクで喉の奥深く流し込み、あまりに大量に流し込んだためにそれは大量に泡化して苦しかったけど、一旦クチに入れたモノは決して出してはいけません、とおばあちゃんにいわれて育ったおれだったからクチぱんぱんになったけど意をけっして飲み込みその直後の大量ゲップも周りに誰もおらんことをいいことに思う存分できて、さっきのアナウンサーの顔の前でやったろか、などと、おばあちゃんに知れたらえらいことになるが、当然彼女は今天国、いや、いまおばあちゃんのことを「彼女」だって、なんだかケツがカイーような変な気分だが、エーゴでいうと女性代名詞は「シー」だし、「シー」を和訳すると「彼女」に決まってるわけで、なんとアメリカ・イギリス人たちはミもフタもない言語生活をしているのかなんて呆れちゃったが、たばこに火をつけ、もういっちょうビールグイグイ飲みしてみたらやや身体の芯がひえ、少しはましになったかのような気にはなったが、よく考えてみればやっぱりまわりの気温は37,7度なのである。
 参るよね。
 毎年書いてるけど塾は夏期講習というのがあるからほとんど身動きとれないけどライヴもあったことだし音楽ガラミの人生でひさしぶりに昔みたいに楽しかった。昔は夏といえばカリビアン・カーニヴァルだあカメレオン・ナイトだあ脱国境の夜だあラフレシア・ヴィーヴォだあと忙しかった。体力も人気も落ちてるからしょうがないけど、でもひさびさ、そんなニュアンスの夏でしたがキミらはどーだったろーか?最近思うのはね、こんだけ暑いとたいがいのことがもうどーでもよくなるでしょ。すべてに投げやりなムードが漂うじゃない?投げやりとはいかんまでも、なにか積極的に事を始める、とか、あるいは事に抗うとか、そんなことがもうほんとにどーでもよくなる。ただしい人生とはいえんのかもしらんが、しかし人間でいるのがツライというかそんな感じないかなあ。人間でなくなるっちゅうのは一体どーゆーことやねん?と思ってるやつがいるかもしらんので言うと、概念として動物か機械のどちらかに限りなく近付くことだ。人間てもとから動物やんかー、なんていう低能なつっこみヤメロよ。自分が牛やブタだったらヤでしょ。ま、ほんとのところ、その境界線はたぶんに恣意的ではもちろんあるんだけど、ヒト=foodなんてこともあり得るからね。人間はストレートに動物でいることができないから不幸なわけよ、これが実に。ストレートに生きれたらどんなに幸せだろう。それは欲求をストレートに体現することで、そーなると弱肉強食の世界でいつ命が中断するかもしれないわけで大変なんだけど、でもしかし、想像力によるところの恐怖はないからこれが端的にいうと「死んだってハッピイ」ってことなわけですね。いや違うか、「死ぬことがハッピイ/アンハッピイのどちらでもない」ってことね。で、この、人によっては中途半端に備わっていることでそれがとんでもない不幸の原因になる想像力、厄介だ。厄介だと、遅かれ早かれひとは気付く。それに大抵耐えれなくなる。そして人はどーするか。それを制御できなくて犯罪を犯すか精神病に逃げるか、それを全封印してマシーンと化すかだ。おれ、極端なことをいってるって思う?現象としてはそりゃ極端かもしれないが多かれ少なかれ心の中はみんな「somewhere in between」ってことなんじゃないのかなあ。さらに厄介なことに以前だとすべてを封印のマシーン化には終身雇用による現実的メリットがあったんだけど、最近合理化による年棒制導入とか首切り(リストラなんて言葉、コノ世から追放したいね)がどこの企業でも進行してて、このウン十年間の自分のマシーン化は一体なんのため?っておとうさんやおにいさんも激増中。なんといっても失業率5%超の時代だからだ。そのひとたちの再就職の問題もさることながら、その情念は一体どこへ向かうのか?という不気味さの方がぼくは気になる。「おれはちゃんとやってるのになぜ社会はおれのことを認めようとしないのか?」そう簡単に人間は客観的になれるものじゃない。とくに最近の「おれ・あたしだけは・・・」的な、ばかでもなんかできるんじゃないかって思わされてなんかの学校行ってなんかになるべき、なんて成功が結構身近な感じにばか相手には思わせといて、金使わせたあげく、やっぱ世の中そんな甘くなく、誰もがそんな甘い考えで一ケ所に集中するもんだからイス取りゲームでイスひとつにヒトいっばいな状況で結局使ったお金と時間は水の泡、でそれをさんざんアオってたオトナはシラン顔。いい例が「キャッツ ミュージック スクール」。今やどう見ても<J POP>を「真剣に!」お勉強しているとしか思えない様子だ。そもそも音楽というのは「せーの、で習ったりする」ものなのか?クラシックを習う。それはわかる。ジャズの理論を習う。それもわかる。それは過去の音楽家たちが理論化してちゃんと紙に書いてあるものだからだ。そしてそれらはほとんど評価が決まっている、ある意味イッツ ヒストリーだ。だけど例えばドラムのアフターピート(タメのある8ビート)とかバイーアの音楽はサンバの音の組み合わせをどう発展させているかとかマンボの遅いのがチャチャだとか日本のルンバはうそでキューバの本物はどんなんなのかとかクンビアは肩を脱力してノレだとかイギリスとアメリカのロックの本当の違いとか「本当のR&B」とはどういうものを指すのかとか、マニアックになっても通じないからサワリだけにしとくけど、最低でもこんなことぐらいは教えなきゃ「ミュージック スクール」って看板が笑い者じゃないだろーか。先生として行ってるやつだってわかってんのかおれは疑問だ。生徒の裾野を広げるための素材やら目標やらが<J POP>だったとしたら、そんな「悲惨」を拡散すること、しかもお金を取って、なんて詐欺に近い気がするがどーか?閉ざされた国の中の典型的な話ですごく暗くなる。いつだったか、おれも非常勤講師で自主レコードの作り方なんてのを講義しにいったことがあるが、生徒の質なんて、いやーほんとにおれの気分で殴ったり蹴ったりして悪かった、マルタニ塾の生徒たち、これからはもっとやさしくするからね、いやほんと、っていうぐらいキャッツのやつら最悪だった。しかし状況はその当時のほうがきっとまだました。結構ハキダメな専門学校のニュアンスだった。今とかなんだかプライドもっちゃってる感じ。そして「真剣にJPOPをお勉強してる」みたいなのがキモい。それが経営としてもかなりうまく成り立ってて、どんどん江坂で校舎が増殖してんのもうっとーしいことこの上なしだ。
 同様の気持ちわるいことはまだまだある。もうひとつだけ。雑誌で見かけた「アニマルナース」という職業のための専門学校。要するに動物病院の獣医師の補助的作業なんだけど、別にアニマルナースじゃなくってもいいじゃないか。わかったかわからんような言葉で本質をずらすってのもうやめようよ。アニマルナースって言葉になにか夢のような付加価値ある?そんなものさえもないときにただエーゴに置き換えて本質をずらかくす手法って今どきこんなもんにだまされるなんてよっぽどのバカだから、なんというか同情の余地もないけど、しかし、このインターネット万能の時代だからこそ、実は正しい情報がなかなか手にはいんないことを逆手にとるような汚らしい手法にはほんとうにムカつくね。おれはなんだかしらないけど、動物相手のファッション・ヘルス的なものを連想してしまったじゃないか、そんなのって変かなあ。でもそんなのの方が特殊技術の要る「職業」って感じしない?イヌはこうやんないとイカないのよ、なんて解説されると「おー」なんて尊敬しちゃいそうだ、おれなんて。
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2005年08月23日

うれしはずかしなつかしの味

<<最近の2004ヒトリツウシンから。この号おれは元気だった。熊野古道歩いたりして、パワー充電してた>>
 ナポリタンなのね。スパゲティといえばナポリタンとミートソースしかなかったっちゅーねん、三十年前の話だけど。イタリアの「ほんとの」スパゲティとは似て非なるものかもしれないが、散々ほんまもんを食べたあとで、そのニュアンスをアレンジに加えてみたらうまかったよ。オウチ自炊メニューとしては簡単だからキミらもためしてみなさい。
 たっぷりお湯湧かす。スパゲティはもうなんでもいいんだけど、たまたまそこにありました、というのがいいと思う。わざわざ買いに行くとか、そのわざわざ感はナポリタンには似合わない。具も冷蔵庫にあるもの適当。ベーコンでもいいし、ウインナーもいいし、オリジナルにこだわるなら魚肉ソーセージだけど、それもわざわざ買いに行くというのもおかしい。あるもんで。あとタマネギ、ピーマン(色問わず)、きのこ(種類問わず)なんかがあればオーケー。ではお湯湧きました、麺投入してアルデンテまで待とう。その間にたかのつめをオリーブオイルで炒める。おれはやや黒くなるまでやっちゃうけど、お好みで。そして具材を続けて炒める。軽く塩。しんなりなったら「日本の<ナポリタン>」の素=トマトケチャップをくじゅーっとフライパンへ。そして、ここからがちょっと違う。麺の茹で汁をおたまですくって一杯。赤ワインの残り物をその半分くらい。フライパンの中が一気ににぎやかに。アルデンテの麺をフライパンへ。茹で汁もひとつ。あとは炒めじゃなく「からめ」て水分を飛ばす。はいできあがり。パルメザンを散らしていただきま〜す。たかのつめがあるからタバスコはいらんと思うが、好みで。これは、かなりうまいと思います。
posted by おれ at 20:23| Comment(0) | TrackBack(0) | お料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月10日

南部をめざせ'03 Hi&Stax

<脱国境音楽家としてメタ・レヴェルからアメリカ南部黒人音楽を見てみる。これしかないねん、というのはそれはそれで認めもしてるし、カッコいいとは思う。ただ世界音楽を経験したあとに、つまり一周まわったあとにHiやStaxの音を聞けば、また別の価値を感じる。メタ・レヴェルというのはそういう意味です。ブラジルやキューバの音楽の完成度と比べても、種が違うから一概に比べられないが、これはこれで非常に高いと思う。ただ、時期的に無性に聴きたくなるよね、というのはカオルちゃん(カオリーニョ藤原氏)とも話したこともある。芳醇な音楽である>



<南部をめざせ'03>
 この時期にこんなタイトル、恒例化してしまいました。なぜでしょう?答はこの時期の湿度でしょうか。いやそうでしょう。六月になって梅雨入りして、じっとしてても汗ばむ季節、いきなりベランダにて、梅雨の一休みな時期にぱんつ一丁でビール飲むなんてのもそりゃーいいんだけど、たとえそんなことをしていてもしなくても、アタマの中で鳴っている音というものがある。音楽に貴賎も上下もないんだけど時節柄合う音というのがある。どーしようもなくね。それはなんつってもアメリカの南部の音といわざるを得ない。普段さんざんアメリカうんこして死ねとか最低とか悪口いってるにもかかわらず、ここだけは良い。まあブッシュの戦争に小泉が賛成したからっつっておれは世界の人々からその一員と思われるのヤだから、というような同じ事が言えて、アメリカ全体がカスというわけでもないのだ。過去のアメリカは「すんばらしかった、特に音楽はね」。盟友カールフィンチ(BRAVE COMBO)だってアメリカ人だしね。ただカスな部分はどんどん増えてるわけだから、その良い(良かった)部分っちゅうのは余計貴重なものとして受け取られるべきだね。
 コクがあってタメがあって、ゆったりしてて(レイドバックなんて言葉があった)しかし、キメはびしっと。豊かさを絵に描いた(?)ような音。重たい空気の粒子がゆらゆら揺れてるような。そして吸った息に含まれる蒸気によって身体の内部から潤ってくるような。
 過去何度も南部を目指した白人ミュージシャンもさることながら、目指すってからにはその目指す先と云う目標があるわけで、今回そのゴールとも言える2つのレーベルのことをちょっとね。
その1.
 メンフィス・ハイ・サウンドはまず、そのドラムの音である。なんといっても。ドッドッというイントロに多用されている、スネアとベードラでもう熱くなっちゃう。そしてあくまでシンプルで重たいビート、オカズもそりゃ必要最低限のシンプルだがツボを押さえた、あくまでも熱を体内にタメにタメるような。オーティス・クレイやO.V.ライトなんていう素晴らしいヴォーカリストのバックでその「ハイ・リズム隊」がシブくもあっつい演奏を繰り広げているわけ。そのオカズにしても、ムダは一切なし。最小限の音数で最大限の効果。現在のリストラ社会のお手本のような、しかし引き算でそうなったわけじゃないという、稀に見るタイプのドラム。意外かとは思うけど、「JAPAN」のドラマーなんかもものすごく好きなんじゃないかな。テヴィッド・シルヴィアンの「JAPAN」ね。最近まぎらわしいな。て、いうか逆にそんな名前よくつけたな、D. シルヴィアン。ま、いいとして、そのハイ・サウンドのテーマ曲とも云ってもいいのが「TAKE ME TO THE RIVER」である。アル・グリーン作のこの超名曲はトーキング・ヘッヅやRCO ALL STARS にもカヴァ−されそのどちらも、「さすが」なアレンジなんだけど、ハイの中ではシル・ジョンソンがやっていて、これもまたまたカッコいいの。リヴォン・ヘルムとスティーヴ・クロッパーがリスペクトをはらいまくって自分達の音を構築する上でのこの上ないテキストともいえるものがそこにはあって、おれも聞く度にうーん、なんて唸ってしまうんですが、どうなのかな、ここらへんってDJのおにーさんたちが注目するにはやっぱヘヴィすぎるのかな、JBのバックもそりゃカッコいいが、この、果てしなく重たい8ビートがおれはたまらなく好きです。
その2.
 スタックスはハイと並ぶ、メンフィス・ソウルのレーベル。残念なことに今じゃどちらも存在しない。ほんとに残念だけど。スタックスはナンパである。ハイに比べるとね。でもそのある種スワンピイなところがナンパならではでいい。背後の空気が見える。「ラストワルツ」にも出てた、ステイプル・シンガーズやドラマティックス、ジョニー・テイラ−と素晴らしいシンガーがいるが、おれが一番興味深いのが、ルーファス・トーマス。娘のカーラ・トーマスはオーティスとの共演で知られるが、この親父の強烈さってない!!!!!!!!!!!!!!!!!
一体このおっさんは「種」でいうとなんなんだろう?ヒトだろうか、それともエイプの一種か、それとも、それらのハーフか?という疑問を10人中8人は持つと思われる、その人間離れしたルックスと異様な動作にほんとにびっくりするんだから。スタックスはハイよりも「ファンキー」でその後のディスコのイディオムとかがそこにはたくさんあるとおれは思うけど、ジョニー・テイラ−の「WHO'S MAKIN' LOVE」なんかを聞くと、洗練されすぎてクソとなってしまったディスコにはないすれすれのカッコよさがあって、ゾクッときてしまう。なんだか、進歩ってのは図らずも一回性であることだよなあ、と思わず詠嘆の感情にとらわれてしまうものだよなあ。

 そしてそんなものを目指して、ザ・バンドやリトル・フィートはがんばっとったんだな〜。そりゃ楽しいよな〜。

posted by おれ at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | music関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月08日

今日までの命?

<<小泉氏が総理になった人気絶頂のときのヒトリツウシン。2000年。まさに本日すべてを失うかもしれない彼だが、90%の支持率という変な状況から始まったことは覚えてるかな?でも自民党が間違いなく崩壊へと向かったことは功罪の功のほうなんだろうな、ただもう一回政変がないと改革のスタートラインに立てないというもどかしさはなんとも言えない。次の総理、岡田君かもしれないが、説明に誠意がある人間が望ましいね。さてどうなることだろう>>



<小泉新総理のこと>
 アツイひとというのはよくわかる。ただ90%の支持率っちゅうのがおれは気持ちワリイ。多様性が機能しなくなった社会のテスト・ケースとしてはあまりに予想通りでおれはなんだか恐ろしい。政治が身近な気になるというのは貢献なんだろう。ただテレビに映るという区別のなさにおいて、政治家にせよ芸能人にせよ、それをとりまくゴミみたいなひとたちにせよ、それらすべての現実的な境界がもう溶けてなくなっちゃってる、というのがぼくの感想です。ひとつだけ確実に云えることはそこには美意識のカケラもない、ということ。メディアに関わってるひとたち、こんなんでいいの?ほんとにこんなんでええんか、オマエら。
 一見多様な風なカオでテレビ番組は成り立ってるフリはしてるけど、実は巧妙に見てるひとたちを多様なものに反応できなくし、そして結果、多様なものが存在できないという社会を導いてはいないだろうか?いませんか?この大衆・情報化社会ではそのチカラ大きすぎる。さらにみんなが有効な批判性を持ちえてないから問題の根は深い。批判性をもつべきオトナは身の回りのことに追われてるし、批判性をもってもその意見が掬いとられないコドモは自虐的・暴力的になっていく。これは非常に悲しいことだね。絶望一歩手前な状況ね。おれは政治そのものより政治的なるものを憎んでいるけど、ま、そんなやつもいる。
 小泉さんの真価が問われるのはこれからだし、これは冷静に見守んなきゃいけない。ハンセン氏病のドラマチック大逆転控訴断念はパチパチだったけど、これから構造改革に着手したあとの処理でのクールさと優しさがポイントではないかな。酒の趣味は〆張鶴の純なんていってるからこれは趣味いいぞ。おれとおんなじだもん。
 しかし、靖国神社への公式参拝にこだわるところに小泉さんのすべてが凝縮されているとぼくは見ている。感情的でもあるが計算もみえる。アマチュアリズムもある。この国を覆っている安易で程度の低いナショナリズムを計算してるのかな。それよりもその問題に感情の先走りがかんじられる。靖国神社は難しい。それは靖国神社がもとからあった神社ではなく、第二次大戦で命を落とすことになるであろうひとびとのためにわざわざつくられた神社という性格をもっているためだ。神社裏の人目につかないところにはこっそり大砲とかも飾ってあったりする。日本という国は延々続いているわけではなく50数年前にまったく別の国になったことを自覚し、外にも説明しなきゃいけない。その断絶が良くも悪くも今の日本って国をつくってしまった。中国とか韓国とかはその断絶を認めていない。っていうか、それは被害者の怨念だし、だから日本の政治家の失言を耳をすまして聞きのがすまいとしてる。中国なんてアヘン戦争でえらい目に合わされたイギリスにはそんなこと一っ言もいわんでしょ。日本はある意味、加害者であることにもう何か耐えられんみたいな心情をうまくつかれてる。天皇のために死んだひとびとの命を奉った靖国に参ることがその戦死の根拠(つまり国=天皇のために)を認めてしまうことになるのかどうか、それはぼくにはうまく云えないが、そこを心情的に押し切りたい小泉氏は感情的でアマチュアだと思う。アマチュアは悪いことじゃないけど。
 オヤジぽくない首相は珍しいからがんばってもらいたいとも思うが、その人気がある種今の状況にハマリすぎてることが気になる。
posted by おれ at 11:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 一国の首相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月04日

また同じ事の繰り返しですか、もしかして?

<<また世界陸上の時期。それを直前にして、性懲りもなく、織田のバカヅラをTVでよく見ます。前回の世界陸上時(4年前かな)の時のもの。ニッボンニッポンと連呼するのってそんなにカタルシスなのか、キミらには。今の中国・韓国の軽薄ナショナリズムをキモいとは思わんのか、キミらは。それと五十歩百歩だぞ。しかも90年代からこっそり始まって最後は大手を降ってみなさん耽溺していった日本の右傾化に中国・韓国のナショナリズムが呼応したフシだってあるのだ。スポーツはほぼどれもそれに奉仕する形になる。同じマンションの隣のねえちゃんが出てりゃ応援するけどさ。ただ、こうはいっても自分の中にも得体の知れない、国家意識のようなものを感じるときもある。いったい、怪物的なこいつはなんやねん、と思うこともある。きっとなにかとなにかを混同しているんだと思うが、明確に分ける事も出来ないぐらいにそれらは複雑に絡み合っている。と、なれば、織田および織田を喜ぶイコール思考停止の集団、ってことにならないか?と問題提起しておきましょう>>


<アスリートとメディア>
 かけっこしたり見たりするのはきらいじゃない。世界のトップレベルのかけっこがおもしろかった。毎日決まった時刻の塾通いだから、膝負傷しちゃったこともあって、ふとTVをつけたりすると世界陸上をやっていた。鍛え上げられた身体が跳んだり跳ねたりするのは人間のPOTENTIALが垣間見えてなんとなく勇気がでてくる。で、見ててまるで勇気が出てこないのがそのまわりで騒いでるひとたちだ。TBS系列だったと思うが、これはTBSに限ったことではないんだけど、そのスタンスが政治状況とダブっててあきれた。安易で、騒ぐための根拠としてのナショナリズムにはもうサッカー日本代表の試合なんかで慣れちゃったけど、それが卵の黄身の部分だとすると、それを覆う白身の部分には日米同盟があるんだねっちゅうことだ。ん?と思うなら、なぜ、マリオン・ジョーンズが100mで負けたときにあんなに局をあげて嘆くんだろう。それって友人の反応だ。それもただの友人じゃなくそのお家になんかあったときは自分のことのように悲しみ嘆くそんな友人。その根拠って日米軍事同盟しかないでしょ、よーっく考えてみたらさ。ただし、その献身は一方的で、アメリカのTVステーションが日本の選手がメダルをとったり、勝つはずの選手が負けたことにそんなに大騒ぎしてるとは思えない。勝手に友だちでしょって思ってるのは日本の誰か、どこかだけだよ。これこそが悲しいんじゃないのか?マリオン・ジョーンズなんて全米的に英雄であるとも思えん。そんな一枚岩の国でもないしアメリカって。黒人・白人って問題もいまだに存在するし。なんか想定している視聴者はありもしないサルとヒトの中間種くらいなんじゃないかな。ありもしなくもないかな、五千万人ぐらいいるのかな。織田なんて、喋らんでも見た瞬間イモなサルってのはわかるから動物園の檻の中見てるって思えばまだいいけどね。田舎のサルなおんなのこたちにはそんなのも「必要」だってのもわからんでもないが。しかしサルにはTVで主観を述べさせちゃいかんよ。いや、まじで。カビラくんにしてもバカ帰国子女としての喋りというか変な芸、もう取りかえしのつかないとこまでいっちゃったね。普通にしゃべってたらそんなバカじゃないのにね。手遅れって感じだね。それにひとりひとりに変なキャッチフレーズつけるのやめたらいいのに。日本人選手ならまだ抗議もできるけど、オーストラリアの女子棒高跳びの選手なんて「美尻の空跳ぶスーパーモデル」だってさ。美尻ってなんかそれマズくないの?そんなの本人に日本語どーせ通じないし、何日かのことだし、ヤリ逃げ感覚で、やっちゃったモン勝ちでそれにつられるバカワカモノ及びバカオヤジがひとりでも増えればそれが利益ってことですか、ですよね。ひどい話だね。大体さあ、とってつけたようなつまんないドラマを注目選手にむりやり張っつけなくてもいいだろう。つい最近婚約破棄しました、なんて、なんなのよ、それ。その選手が勝っちゃったら最低のメロドラマだし、負けちゃった時なんてなんのフォローもなく放置でしょ。そんなんでいいの?ほんとに。英・仏・日堪能なトリリンガルのインタヴューの彼女と自分の世界でがんばってる選手たちに少し救われたけど、最悪の「TV番組」だった。ワールド・カップが心配になってきた。
posted by おれ at 12:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月26日

<熊野のカミが呼んでるからまたまた行ってきた>

DIAS com Peugeot 309 e AlfaRomeo 75v6milano
<<2000年の初夏かな。熊野詣でのキョーレツなやつは、また次回。これはまあ、かるい方。でも、行った人にしかわからない楽しさに満ちあふれています。読んでるとそそられます。最初の神の国発言は小泉くんの前のバカ総理のもの。このおっさん、ほんとにバカだった。しかし、今もなお権力志向な感じ。自民党は割れるべきである。>>
 <熊野のカミが呼んでるからまたまた行ってきた>

 夢のなかでカミがおいでおいでをしてた。日本は神の国らしい。おれは「カミのくに」だと思うけどね。この違いは重要なのだ。

 今日は日曜だ。明日の夕方までに帰ってくればいいんだ。カミのお告げには逆らえないないんだもん。

 着替えも持たずに軽装で出掛けた。なんとかなるなる。309のガスを入れ、オイルを替え、万全の態勢で豊津は孫田石油から1:30pmに急発進。中環から近畿へ。西名阪さきっちょだけ入って藤井寺へ。

 今回新たにセットしたCDは、1)ジェシ・エド・ジェイムス、2)スラップ・ハッピ−の1st、3)ブレイヴ・コムボ「ナイト・オン・ア−ス」、4)ケント、5)ベレ−ザ・トロピカル、6)もういっちょうスラップ・ハッピ−2nd。なんか「イイ予感」がしてた。クルマの中が一番しっかり音楽が聴ける、とぼくは思う。キャデラックかなんかのCFでCD6枚分の時間ドライヴしましょ、なんてのがあったけど、そん時はケッて思ったけどそんなのに近い感じだった。情況が違う。方向は熊野にセット。ただし、前つかえててもオコらず、それだけたくさん曲を聴ける、という解釈でどうだ?って自分に提案すると、いいね、って自分が応える。おれもオトナになった。

 1)で近畿終了。レイド・バックしてるけどギタ−はアツイ。最近この昔インディアン・今ネイティヴ・アメリカンのギタリスト、かんなり気に入ってる。藤井寺から五条までは2)。そしておれ、イマ、スラップ・ハッピ−病に感染してる。ダグマ−・クラウゼの、それも27年前の彼女に「恋しちゃってる」かもしれない。なんでこんなにカワイイんだろ?おれのど〜もヨワイところを刺激するこの声。いかんいかん。いやいかんこともないか?寝ても覚めても聴いていたい、こんなに女声にハマったのはマリア・マルダ−以来じゃないかな。あ、ブラジルやポルトガルのオンナのヒトはかわいいというかやっぱりすごくうまい。フェイル−スはその浮遊感が現実離れしすぎてる。こんなにかわいいって思ったのは、やっぱりマリア・マルダ−以来だなあ。などとヒトが見たらばかみたいな顔できっと運転してたんだろうなあ。恋をするとオンナのヒトは綺麗になったり肌に艶が出たりと、いいことが表面化してくるのに、オトコの場合、「ふやける」。これってなんだか不公平な気がするなあ。

 さてR168である。何度も走ってるんだけど、やっぱりすべてを覚えてるわけじゃない。目の前の風景はまさにドライヴのBGVとして流れていく。今回結構自覚的によく見ながら走れた。流れてる音楽と運転するという行為のバランスが以前とは違ってたからだろう。R168はやっぱりおれとしては面白い。ただかなり大変な路であることは間違いない。十津川近いところ谷瀬あたりは路がものすごく狭いのだ。この路の狭さというのは改善不可能。両側に民家がぎっしりと並んでいる。そこを自分のペ−スで飛ばすってのが楽しいんだけど、日曜だったからか、谷瀬あたりまでかなり対向車も多かった。「族」的なクルマも以前よりは増えた気がした。一度狭い場所でバカ2人乗りのシャコタン・セドリックとお互いに譲らずに一瞬緊張が走ったりもした。

 十津川を越えるといわゆる「ぐりんぐりんカ−ヴ」下りだし、ダアレもついてこれない状態に突入。3)が佳境に入ってた。今回なんかラテン音楽はセットしなかったけど、ブレイヴ・コムボはどうかんがえてもスバラシイ。ソンナ・バナナのアメリカ大陸のライヴァル(ヨ−ロッパ大陸はネグレス・ヴェルト)は精神を解放する作用のある音楽を延々やり続けてる。おれもそのうち復活するからね。待っててね、カ−ル・フィンチ。

 予定(いちおうたてただけだけど)では次の4)の最中に熊野本宮大社に到着するはずだ。その頃はもう5時過ぎだった。なんだか今回変なのだ。苦痛というかしんどさから無縁で身体も気持ちもすごぉくリラックスしてるわけ。渋滞にも会わず、天気も中庸で、チカラも入らず、ほんとにおれオトナになっちゃったんだろ〜か?なぁんてなんだか少し不安。そんなことを知ってか知らずか、309は軽快にカ−ヴをまるでスラロ−ムのようにクリアしていってる。楽しい。しかし、以前のようなバカ笑いが起こる、そんな楽しさとは少し違うんだ。心のボトム辺りは非常に満足していて、カオはいたってク−ルなのにでもト−タルでいうと、これは楽しい以外にありえない、という情況ってワカルかなぁ?そぉんな感じ。自分の内部のある変化になんとなく驚きながらも、CD情況は4)の3曲目。もう着くよ。こなきゃいかんいかんと思いながらこれなかったこともあり、思わず叫んでしまいました。熊野大社に到着。5:30だった。ピッタリ4時間。予定どおりね。

 階段を昇り、手・口を清め、中へ入り、いつものようにチカラが抜けていき、右手のアマテラスから順番に一礼してお賽銭を放り自分と身近なヒトビトの健康を祈り、自分が関わっていることの発展を祈り再び一礼して全体が見渡せる場所まで下がりただひたすらなにも考えずそこに立って10分程過ごした。帰りに、たくさんのお守り・お札を買って、クルマまで戻った。

 どこに泊まるかそろそろ決めないといけない。湯の峰はもう遅いから晩メシ喰えないだろうと思い、勝浦まで行くことにした。新宮までの最後のR168も快感だった。30台ほど他のクルマを追い抜き、シルビアに乗ってるバカが一名、309をアオルから、わざと抜かせて、Tail to Noseで逆に責めてあげた。

 R42はまたまた空いていて、今までと同様にトバしちゃう自分にブレ−キかけんのが大変。ここはおまわりいそうなんだもん。15分ほどで勝浦に着いたから、今回は「いろは寿司」行っちゃわないといかんなあ、いやいかんなあっちゅうこともないんだけどさ。で、例の激安民宿にチェックインして風呂後さっそく勝浦海岸通りへと歩いていく。いろは寿司のとびらを開けるとおっと本日みなさんお揃いでした。息子も今日はなんか元気な感じ。おかあさんもいた。ビ−ル飲みたかった。中トロと赤身といさきをお造りにしてもらってビ−ルを飲む。今回はいさきの旬だったこともあって何度も「いさき」コ−ルの夜だった。勝浦のいさきおいしいよ。

 なんだかおかあさんの元気がないのが気になった。いろいろあるんだろうな、と思って何も聞かなかったけど、前回強烈すぎたから少し心配。おかあさんというひとは川上邦子さんといって、熊野を舞台・題材にする創作舞踏の先生です。ア−ティストのいろんな停滞っていうのはおれもわからんでもないから、何も聞かなかった。他の客もいたし、地元の二人連れとヨ−ロッパ車の話をして10時くらいには店を出た。「また突然来ます」って言い残して。

 宿に戻って、もう一度風呂に入り、うとうとしてしまった。目が覚めると2時回ってて、あっと思ってTVをつけた。代表のフランス戦が気になっていたのだ。今回はやれそうな予感がしてた。フランスもEURO2000の最終調整段階だし、日本はトルシェの首がかかってるし、やっぱりここでオトコにしてあげないとあかんやろ。結果はみんな知ってる通りです。あれだけで「世界チャンピオンと同格」っていうのは違うけど、トルシェの戦術がやっと形になってきた。ホ−ム・ゲ−ムじゃないほうがいいのかも。今の代表は前回W杯前の不当に高いFIFAランキングとは逆で不当に低いランキングだ。今だったらコロンビアぐらいには勝てそう。ヨ−ロッパでいうならベルギ−ぐらいならいい勝負しそうな感じだ。そのあとなんだか眠れなくなって結局朝まで起きてた。

 翌日。もう帰んなきゃ。でも今回はそれでいいの。朝メシしっかり食べて、新宮へと向かう。中上さんの墓参りをもう一度して、今回はていねいに墓石に水を掛け、故人のやり残したことの何十分の一かもしれないが、きっとやります、と約束してきた。そこから速玉神社へと向かい買い忘れた、お札を買って、ふと閃いた。R169で帰ろうって。

 一度帰ってエライ目に合った路だった。いわゆる「なんでこれが国道やねん!」な路。しかし、なんだかいい予感がしてた。少しは良くなってるはずなのよ。熊野博も去年あったことだし。R168を北上して瀞峡方面に折れるところからR169は始まる。ここから瀞までは未だに「なんで国道やねん」状態。でもこれはおれにとってはこんな楽しいことはないわけで、5速まで容赦なく入れて、トバシにトバス。約20kmこんなことが続き、一車線!の1km以上ある!明かりのない!トンネルを越えるとそこから先はきれいに舗装された、時に一車線部分はあるものの、大抵二車線のおれのためのぶっとばし・ロ−ドだった。それも嬉しいことに、路は瀞峡に沿って作られていて、いつも右手を見ると、そこには熊野ならではの深い緑色をした水をたたえた、上瀞から奥瀞の壮大な風景がそこにはあった。ちょっと本気になっちゃった。3kmのトンネルがこれでもかっていうぐらいあることを除けば、ほんとおれのためにある路だった。次はこっちから熊野に入るのもいいなあなんて思った。一度も休まず走り続ける。なんかとまんないのね、一旦こうなっちゃったら。クルマは少ない。周りは森も水も緑。新緑の季節。天気、はれ。風、弱風。309快調。おれ、ご機嫌。おまわり、いない。いうことなしだった。

 3時間ほどで吉野に着いて、そこからR309を通って走ってたときにお店からTELでMDがならん、という報告を受け、急遽藤井寺まででて、西名阪から阪神高速、Z3をぶっちぎってナンバで下り、日本橋直行し、新しいのを買って、お店へと向かった。何人かには、そのときお守りをあげれて、その後余韻に浸りながら、新御堂を流して帰って塾の仕事をなんとかこなし、ワイン飲んでアホみたいに寝てしまったわけでした。スピ−ド往復だったけど、これは身体が元気な限り続けなきゃいかんことだ、という結論に達した。309ごくろ−さん。猛ダッシュ熊野詣での巻でした。チャンチャン。
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2005年07月24日

最近の家電に対する文句

<最近の家電に対する文句>
<<2000年の夏号より。当時は同一マンション内に二つ家があって、行ったり来たりしてた。今考えるとなんと無駄なことをしとったんや、と思うがね。いろいろあったのよ、当時。その後関大前に住んだりもする>>
 
 ほんまによ〜壊れる。トドムンドのMDだってもう3台目だし、酷使してるとはいえ、もうちょっとメンテナンス・フリ−でいてよ、ってお願いしたくなる。うちの家のオ−ディオだっていつも何かが壊れてる。4Fの広い、塾をやってる部屋にCD/MDラジカセがあって、入ってすぐの部屋にはアナログを聞く用のコンポがあるけどそのテ−プ・デッキが今イんでる。6Fはそこで録音やってるので、普段はヘッド・ホ−ン着けてるけどスピ−カ−で聞かなきゃわかんないとこもあるからCD/MDコンポをDATとロ−ランドにつないでる。そのCDがインでる。録音のときに参考にしようと思ってCDを聞こうと思うと、4Fまでいかなきゃいけない。いくとそこにはペロがいて「パパが来た!」とばかり足元から離れないから、膝にのっけてナデナデしてたりすると、しばらくそこにいることになり、録音する気がなくなって、ま、いいか、でもロ−ランドの電源付けっ放しだった。消してこよう、って思って、ペロにかつおぶしあげてる隙に逃げるように6Fへと帰る。あ、おれ何しに下にいったんだっけ?あ、CDだよ、CD。ん〜もう。アッタマきてビ−ルなど飲んでしまったりすると、この湿気を伴う暑さにbeerは大変よく効き、一缶が二缶、そっから本格的に飲みたくなったりしてワイン開けたりして、トマトサラダとか作ったりして、夜用に買ってたお刺身、カルパッチョにしたりして、そうなると、キンキンに冷してした白はまたまたこの季節に大変有効であっという間に半分ほど空いてしまい、白は一旦開けると飲んじゃわないとなあ、ということになり、そう決心してしまえば、もうこれは何度も来た道で、みょうに落ち着き、いい気分になって、ソファに座って録っておいたVoyagerなど見てしまったりして、そのコ−フンの後にはぐったり感がやってきて、おれ、一体なにやってんだろう?と一瞬反省の兆しがアタマのなかをよぎるが、アルコ−ルによって弛緩してしまった脳は極めてバカ・アホム−ドにかたよっており、ちょっと横になろうかななどと、ソファにごろんしてしまう。「正しいミュ−ジシャン」があっという間に「昼下がりの酔っぱらいひるねオトコ」に。その間、僅か一時間。一時間あけて、ぼくんちを訪問したヒトがいたら、狐につままれた気がするだろう。それもこれも、よ〜壊れる家電製品のせいだ。
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2005年07月19日

Neil Young へ至る道程

<<3年前のフジロック、サーブぶっ飛ばして苗場まで行ってきた。前川君もマッちゃん(ZAK)も来てたんだが、会場内で電話で挨拶、みたいな巨大ライヴ会場だった。まあ、最初で最後かな。ヴァン・モリスン来たらまた行ってもいい。多分無理ね。飛行機乗れんもん。パティ・スミスはぼくには結構最悪だったが、後でいろんな記事読むと絶賛されてた。ほんまかよ。だいたい、オアシスなんかがありがたがられてるところが、ロックは終わったと言われてもしょうがない部分だ。しかし、そんなもんよりももっと助走距離の長いニール・ヤングは、またちょっと意味も体質も異なる巨人である。まあ突然変異な一般的な進化の枠を大きくハミ出た、リアル・ロッカーだろう。今思い出しても、胸の奥がジーンとなってしまう。ゆっくり読んでみてください>>

<Neil Young へ至る道程>
 あの「WELD」で決定的になったハゲがさらに進行してたら(してるだろーな)どーなんだろう。それは、だいぶ、大変恐い状況を若者が大半であるにちがいない聴衆にもたらすかもしれない、という不安があった。個人的にはこんなに昂揚するなんてことは、もう最後のことにちがいない、という確信があって、それはここまで思い入れの強い、未だそのライヴに接したことのないミュージシャンがもういないという物理的なことに由来する。でなきゃ8時間もかけて苗場くんだりなんかいかないさ。お昼すぎには到着しちゃった。
 フジ・ロックの会場は整然としてて、おれの知ってるロック・フェスティヴァルの感じじゃなかった。ごみの分別から路の一方通行からトイレの並びまでほぼ完璧な秩序が保たれていた。なんだか少し恐くなるかんじの整然度だった。それはぼくには自由を失ってしまったロックのメタファーとも映った。そしてそれはその場で一日過ごすうちにある確信へと姿を変えて、ぼくの心の中に重く沈んでいった。 ただし、食べ物はかなり充実していた。考えられる限りのすべての食べ物・飲み物がそこにはあった。いやほんとに何でもあったのよ。何でも。

着く前に心配してたことは二日目のトリであるニール・ヤングは夜9:30start。それまであまり興味のないバンドたちを延々見続けないとニール・ヤングまで到達しない。ホットハウス・フラワーズなど興味がなくもないバンドもいるこたいるが、見んでもわかるくだらん最近のバンドがホットハウス・フラワーズとニール・ヤングの間に三つも入っててそのひとバンドあたりサウンド・チェック込みで1:30という、かける3して、うわ、四時間半もあるやんけー、というある種の絶望感にとらわれてしまったわけなのよ。
 
 これは結構きびしかった。具体的にいうとステレオフォニックス、パティ・スミス、アラニス・モリセットという三組がその間に入っていやがって、でもステレオフォニックスとアラニス・モリセットはすごい盛りアガッとったなあ。おれはもうほんとにほんとにほんとになあんにもおもんなかった。前日はオアシスですごかったというし、もう世も末という気がする。アラニスのバンドはまだ少しマシだったろうか、どーかな、でもそのステレオなんとかとオアシスなんて、ロックが多様化してた時代の一番カッコわりいジャンルの成れの果てだ。コドモにはわからんだろうが、オジサンはだませない。なんかこいつら録音とライヴがなにもかもきっと同じだろうなって思えた。で、お決まりと思える箇所でガキがみんなそろってお決まりのジャンプしてた。気持ちわりいよー。お金が儲かる=コドモにもわかる、そんな安易な音楽は資源のムダなのに。少なくともおれには必要ない。日本とイギリス、よく似た状況だ。しかし、ニール・ヤングのためにはせっかく確保した場所を離れるわけにはいかんのね、これが。
 
 苦行のようだった。苦行と思うほかなかった。背筋伸ばして立ち続けることってないでしょう。おれはないです。腰・背中がたがたになるんじゃないかって思ったけど、でもどっかいけない。しかし、確実に腰・背中はインできてる。忍耐の限界がやってきて、メシ喰いにいくことにした。なんなの、それー。いや、でもこれは後から思えばよかった。なぜか?それはここへ来ているワカモノたち、実はニール・ヤングを知らなかった。だからアラニス・モリセットが終わったら、エッ、なんでなんで?帰っていくの?っておれには理解不可能な出来事があちこちで起こり始め、しめたと思ったおれはするするっと前へ寄せて行き、アリーナではないが一番よく見える中央のフェンス凭れ可、という一等地をゲットしたわけでした。
 
 ニール・ヤングの前に一言パティ・スミスにふれとこうと思う。このオバハン、ファックだった。でも女神を見るような目で見てる若い女のコもたくさんいた。パンク全盛の20年前の情報なんていくらでも操作可能だし、なんにも伝わってこないのかと思うとパンク世代の人間としてはシラケるだけだ。もひとついえばこりゃ、悲しいよな、なあんか。手ぇとか振んなよな。パンクならパンクらしく、コドモ騙しはやめましょう。
 
 そして9:30がやっとやってきた。メシ喰ってる間に夜になって、そうそうこの時のためだけにおれは大阪から650kmの道のりを走ってきたんだから、って自分に言った。ニール・ヤング御一行、ぞろぞろ出てきて、おもむろに始まった。むっちゃ意外な、というかおれは大好きな、「DON’T CRY,NO TEAR」で始まった。なにすんねん、おじさんたち。おもむろと云ったけど、いや、あのね、これがね、ほんとにね、おもむろなわけよ。ビートが異常にゆったりしてるわけ。カウント出してたのは本人だったので、テンポ勘違いってかんじかな、一曲目やし。って思った。しかし、出来は悪くなかった。でもこの選曲ほんとにフェイントだった。シブすぎるよな、ニール・ヤングマニアしかしらんぞ、きっと。そしてぼくの最大の懸念ともいえたハゲ、これもカッコいいカウボーイ・ハットにて解決! ほんと、そーいう手があったよね。ウェルドの頃より少し痩せたね。しかし、そのルックスとその後最後まで変わることのなかったおもむろな遅いビートはぼくにある確信を抱かせることになる。
 
 やった曲を思い付くまま、挙げてみようか。「love and only love」「damage done」「from hank to hendrix」「like a hurricane」「hey hey my my」「rockin’ in the free world」「powderfinger」「sedan delivery」「roll another number「tonight the night」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・涙なくしては聞けんラインナップだった。実際ライク ア ハリケーンとパウダーフィンガーは泣いてた。現実にアルバム聞いて何度も泣いていたことが蘇ってくるというか、かれこれ30年以上のつきあいのなかで本当に何度もあったことだし、しょうがない。何度も何度もぼくもニールヤングによって、彼の魂に深く達することでいろんな危機を現実乗り越えてきたわけだし、そりゃしょうがない。悲しいわけでも淋しいわけでもないがただ泣ける。それはきっとわかりやすくいうと完全な主観、そしてまぎれもなく魂のある場所から湧き出てきたなんの虚飾もない歌でありギターであるからだろうと信じる。そんな歌をおれも作ろうといつか思ったのかもしれない。すごく影響を受けてるなって実感した。孤独というものを恐れず、逃げないで、風に向かって立ち、決して自分でヒロイックという自意識もなく、ただただギターを弾きつづけるニールヤングの姿、これがぼくの彼に思い浮かぶ原風景というものだ。しかしその姿は誰を意識するわけでもないが、これがぼくにとってはただただカッコいい。生ギターとハーモニカのひとりヴァージョンもひどく印象的だった。フロムハンクトゥヘンドリックスとダメージダンが聞けた。そして再びクレイジーホースを呼んでそこからは「LIVERUST」と「WELD」というあまりにも偉大な2枚のライヴアルバムの発展的再現の場がそこにはあった。相変わらずのクレイジーホースで嬉しい。進歩しないことの素晴らしさ、進歩の先がつまんないものであることを本能的に感じれること、そういうのがアタマいいって気がする。自分にだけしかできないことに巡り会ったヒトというのはそこで立ち止まることがイイということだね。変化を求めるっていうのも神経症の症状ともいえるもんなあ。
 
 それにしてもひとつだけ違和感があって大体ニールヤング本人がテンポを出すんだけど、どの曲もあまりにゆったりしている。でもぼくはある時わかった。これはニールヤング&クレイジーホースがもう次の段階に、そしてそれはこれで最後という、段階に入ってしまったということだ。その段階というのは「おじいさんモード」だ。なんか変なふうに聞こえるでしょ。でもおれわかっちゃったんだ。この形で何度もライヴができることを彼らは望んでいて、そのための試用なのだ。ぼくも実際ニールヤングの歳にはなってないのでそこは想像なのだが、単に速いビートがきっとツラいのではないか、とおもった。ただし、これを読んでるワカモノたち、勘違いしちゃいけない。「そんなトロいビートのロックなんてつまんないぜ、そんなのロックじゃないぜ」ってふうに思っちゃいけない。なぜか?
 
 ふつーさあ、速いビートに対応できなくなったときには、そのスピリットまでオワってるヒトビトというのが普通なのである。それでも商売熱心な昔の名前で出ています、なミュージシャンは腐るほどいる。というか、そんなんばっかりである。じゃあ、最重要なものそれはスタイルではなくスピリットであることをよーく分かっている、そしてそのスピリットが決して終りにならないニールヤングのようなヒトはどうするか?
その答えがその異常に遅いビートだということはもうおれにはわかってしまった。スタイルではなく最重要なるものとはスピリットであることを身をもってわかっているニールヤング&クレイジーホースはカタチではなく自分たちのロックがロックであり続けるための消去法を敢行したわけだ。そのために犠牲にしたのが見た目の速さなのだ。「すごい!!」って思った。これは音楽をスタイルでとらえるリスナーに対する「踏み絵」なのだ。
 
 で、現実の演奏はどーだったかというと、これがぶっとい。大ナタ振り回してるような演奏って言い方わかるだろうか?遅さがなんにもマイナスになってないからほんとにすごいのね。うまいやつ4人集まっても絶対できない奇跡の音楽、超迫力の魂の具現化、うーん、言葉がもどかしい。無力やね、言葉。その遅いビートで演奏された濃い密度のなにかの塊は帰りにぼくをして190km/hの速度をいとも簡単に出させた、ってことでなんだかしらないが、そのごっつさというものがわかってもらえないだろうか、と思います。最後「トゥナイト ザ ナイト」で閉めたこと。ギター・ベースむちゃくちゃにして終わったこと、もうほんとにおじいさんになるまでは来ないつもりだな、というか日本に来るのは最後になってもかまわないというつもりだな、ということはよーくわかった。いま見れてよかった。しかしこのタイミングはたいへん微妙だった。こういうの「幸運」ってことなんだろうな。すべてが終わったとき予定を一時間オーバーして12時だった。チカラ入りっぱなしの二時間半だった。

 追記:この日はユーロ・ツアーの締めくくりだったみたい。ユーロ内を20箇所ほどツアーしてきた最終日に日本に寄ってくれたわけだね。それにしてもハードなスケジュールだ、一日前はドイツかでライヴしてきたわけだから。コーラスには奥さんと妹が来てた。なんだかあんまり違和感なかったなあ。ニールヤングのでっかさはそんなとこにも垣間見えた。
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2005年07月17日

トゥインゴとの日々

 <<ルノー・トゥインゴというクルマは21世紀的お利口グルマだった。なんで製造ヤメたんだろ。トトムンドやりだした年の(1997)年末号より>>

 最近ちょっとツイてない。2Fを「おこた部屋」にしようと思って、それを配達してもらうのが火曜日の朝で、ぼくにしてみたらチョ−早起きをして店までいったんだ。クルマを新御堂沿いに止めてロバ−ト・B・パ−カ−の新作をもって、石油スト−ブを点け、お湯を沸かして、カフェ・ミット・ルムで身体を温め、冷蔵庫から卵を見つけて、オムレツを作り、一番座り心地のいい椅子を持ってきて、足をカウンタ−に乗っけて、なれないことした割りにはなかなかいい午前中をおくってるぞって思ってたわけ。

 本にもぐいんぐいんと引き込まれていき、気がつくと11時、あ、MD終わってる、ピエ−ル・バル−にしよう、次、コ−ヒ−もうちょっと入れようかな、そして読書へ、そ〜か〜、ユダヤ人の女は異常なセックス好きか〜、でもスペンサ−とホ−クのこんな会話、アメリカのアホのアンチ・レイシストなんかにはどう思えるのかなあ、まあでも自立した個人同士だからイケるんだよなあ、これって、う〜ん、近鉄百貨店、なにしてんのかなあ、11:45といえばまあ午前中といえば午前中だけどさあ、もっとなんていうか、はっきりした午前中にもってこいよな、9:00びったし、あまりにわかりやすい午前中でしつれいしましたっ!、とかさ、ジャスト10:00で、あまりにこれまた意外性がなくしつれいしましたっ!、とかさ、こっちだって朝のウンコ我慢してきてるんだからさあ、そのお客様のご足労に対して、すがすがしく報いる、なんてことがあってもいいわけだろ、こういう場合にかぎっていうと、あらあら、もう12時すぎちゃったじゃないの、やっぱこりゃ一言ゆっとかなきゃな、まあ1時ぐらいまでならいてもいいよ、そんな、おれだって人を4時間ぐらいまたせたことあるもん、ジマンじゃないけと、ま、今回の場合は午前といえば3時間の「はば」があるからね、たとえ12:30でもたった30分のおくれだから、たった、ユルスユルス。で、電話してみたわけ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 一週間間違えてた。来週の火曜だった。ガァ〜クウ〜ッ。
 ため息のひとつやふたつに咳払いがまじってたかどうかは忘れましたけど、なんとなくこれって「失笑」を買うってかんじだよな、って思いながら、そうだこんなときはなんか旨い昼メシでも喰おうと思って夕霧そばにて、温かいゆずぎりを食べて、トゥインゴを止めてたとこまで歩いてった。きゅきゅっと新御堂ズルしてはいってもうぶっとばして帰ったろ、と思いながら。

 でね、な〜んか、いないわけよ、ぼくの「ルノ−・トゥインゴ96年式限定300台特別キャンバス・トップ仕様イ−ジ−システム搭載色はヴェロネ−ズ・グリ−ン走行積算距離11000km」が。

 レッカ−やられてた。路上には単に「ルノ−緑」と書かれてあった。しっけいだろ、それ。

 レッカ−代¥12000也、頼んでもいないのに、保管駐車場代¥2000也、チュウキン¥15000也、ト−タル¥29000也の出費でした。おこた用に代金引き換えのため所持金¥40000也を持ってたからよかったんだけど、でもドブに捨ててるみたいなもんだよなあ、これ。北風吹きすさぶ中、中崎町の保管所まで歩いて、残りのお金で中古CD「ガッチリかいましょう」20枚ヤケ買いをしてすっからかんになって帰ってきた。
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2005年07月15日

あるいはアタシの上を通り過ぎていったクルマたち。

DIAS com PEUGEOT 309GTi e AlfaRomeo75v6milano
 あるいはアタシの上を通り過ぎていったクルマたち。
<<要注釈。当時(2000年)は309まで、サーブ以降はその後。それにしてもよー乗った。ボロばっかり。どいつもこいつもいい子はひとりもいなかったが、今思えば可愛いやつばかり。クルマもねこもオンナもアホっていいね。>>>

 アルファのセルモ−タ−はサ−ブの中古を改造してもらって7万ぐらいで納まった。ただし、バワ・ステオイル漏れ、ブレ−キ・オイル漏れも気になってたんだけど、ブレ−キ・オイルの漏れだけ直すことにした。パワ・ステの方はしょっちゅう気にしときましょう、ということになった。修理の結果が気にしときましょう、ていうのもおかしな話だと思うかもしれないけど、そんな「鷹揚さ」の必要性もあるのだ、イタちゃんのバアイ。どばどばのモレ以外はモレにあらず。それ以外は快調でやっぱりアルファのV6エンジンは官能的である。
 
プジョ−は前号で書いた、ファンのぎょえええ〜〜〜〜の他はいたって快調でコンスタントに5000rpmまで回してる。ぼくは思うんだけど、このクルマの軽快さっていうのはいわゆるかつてのホット・ハッチ好きにはこたえられんのじゃなかろうか。それがまずこのクルマの美点である。前に乗ってたシトロエンBXGTiのエンジンと寸分違わないはずなのに、なぜこんなに軽快なのかね。車体の軽さとFFならではのクイックなステアリングと205よりホイ−ルベ−スが5cm長いのがその理由なのは理屈ではそうなんだけど、数値化できないものがきっとそこにはあって、だからクルマは面白いと思う。ぼくのクルマ選びはある種のディレッタンティズムに裏打ちされていて(今思えば)それは最終的に乗りたいクルマ目指して、段階的にグレ−ドアップしていくとか、リセ−ルバリュ−を考えて、なんてことはもちろん全然なくて、その時その時の短・中期的な体調・気分と経済状態との兼ね合いで決めてきた。そもそもぼくは18の時に免許をとったんだけど、当時はクルマにはそんなに興味がなくて、ほら、興味がないとさ、おれ、その周辺すべてのことがどうでもよくなるタイプなんです。だからただめんどくさいという理由だけで一回目の更新にもいかず、失効してしまってた。なんちゅうやっちゃ、でしょう。で、興味がもてたのはその後10年以上の歳月が流れてしまったあと、ということになる。30才過ぎてなにかの拍子に「乗りたいっ!」って思ったのね。で、一旦乗り出すと、これがもう駄目だった。ずぶずぶずぶとふかぁいところまで行っちゃったってわけさ。
 
 で、その遍歴はといいますと、これが自分でも面白い。もう一回やってみたい。そこで味わった苦労もコミで味わってみたい。ボルボ240エステ−ト、フィアット・パンダ4x4、シトロエンBXGTi,ルノ−・トゥインゴ・イ−ジ−・キャンバストップ、ランチア・プリズマ・インテグラ−レ,アルファロメオ75v6、プジョ−309GTi、サーブ900Turbo CONVERTIBLE、ルノー・エクスプレス、フィアット・ウーノTurbo phase2 Leather Package、プジョー106XSi。とこれがぼくの過去そして現在の愛車たちです。ぼくにとっていまやクルマというのはイヌやネコとあんまり変わらない。イヌやネコがそうであるように、友人でもあり相棒でもあり愛人でもあり子供でもありなにか他の大きな生命体からぼくんとこにやってきた使者でもある。大袈裟に聞こえる?いいのよ、聞こえても。時に、あまりに真実はうそっぽく聞こえるものなのだ。 それぞれに思い出があります。ボルボは全然壊れなかった。買ったばっかりの頃は、まだ走ってるの少なくって、なんつってもでかいから、路を譲るなんてこともなかった。その後何を血迷ったか、ボルボの営業方針がベンツの後を追っ掛けるようなぼくのいやな感じになってきて、日本車からの乗り換えが増え、おばさんのドライヴァ−が増えだしたころからぼくはまったく興味がなくなった。今は、うちの親父が乗ってる。赤のワゴンだから、結構振り返ったりするって、オンナが。あほやな、おっさん。そしてぼくに運転の楽しさを教えてくれたのがフィアット・パンダである。よくこわれたけど、直ってきたときのあのうれしさってなかった。そのうれしさってのもパンダにより学習したみたい。ダブル・サンル−フを開けて春の日なんかに走ってるともう笑うしかないってこと。遅い(リッタ−カ−だから)んだけど速い。運転してるやつには。体感速度こそがスピ−ドである。音もナマイキに一応イタリア車の音がして、朽ち果てるまで乗りたいと思った。熊野にも最初コイツと行った。ラジエ−タ−の水漏れがひどくて、ペット・ボトルにはいつも2リットルの水を入れてた。修理してもしてもなんか直んないからディ−ラ−にお金払わないでおいたら、訴えられて被告経験もした。おもしろかった。パラボラの録音の時にお金が足んなくなって、当時クルマを欲しがってた青美ちゃんに買ってもらった。パラボラの2曲分ほどはフィアット・バンダによってできてます。そしてしばらくクルマなしだ−、とおもってたんだけど、どうも我慢できなくて、手をだしてしまったのが、シトロエンだった。ノア−ルのBX。それまでパンダでやんちゃ小僧してたのが、いきなりシックになったわけだった。シトロエンでは熊野3度ほどいったなあ。帰りにこわれて、電車で帰ってきたこともあった。しかし、なんといってもその乗り心地、これはエクセレント以外の何物でもなかった。今でもシトロエンが一番おれに似合ってたって声も多い。そしてあのスタイル、一言で云うと、洒落者である。いま、あんなスタイルのクルマってない。ハイドロによって、つまり車体がオイルにぷかぷか浮いてて、車高が4段階に変化するから、エンジンをかけたときに車体がふうっと上がってきて乗ってる人は大抵びっくりする。震災のときなんか、ほんとはそれでは走っちゃいけない一番高い車高にしてひどい段差を越えたりした。高速なんかの気持ち良さは云うに云えん。ハンドルを切るとちょっと遅れて車体が曲がる感覚とか、スイッチみたいなブレ−キの感じとか、アジは薄められたとはいえ、「変態シトロエン」の面目躍如。なんでこれがこんなとこに?の連続で最初はアキレかえり、あとからはもうドップリ、そんな変態的箇所を見つけると嬉しくってしょうがなかった。ちまたで有名なそのハイドロの素、LHMオイルの漏れは一度しかなかった。他のことはいろいろあったけどね。そんなときに、最初はなんとも思ってなかった、トゥインゴが突然気になりだした。300台限定のキャンバス・トップが発売されたことも大きい。3台はキツイかな、とも思ったんだけど。安かったし。でヴェロネ−ズ・グリ−ンのトゥインゴがとぼけた顔してやってきた。このころはシトロエンは週末にしか乗ってなくて、もっぱらトゥインゴに普段の日は乗ってた。このトゥインゴ、イ−ジ−・システム搭載でした。一体なんじゃい、と思うでしょ。これがクラッチレス・5速マニュアルで要するに、2ペダルなのにシフト・レバ−でマニュアル・シフトができる、という、「なんでやねん?」グルマだったわけ。買ったときは左足がありもしないクラッチを求めて、パブロフの犬みたいだった。しかしボルボ以来の、壊れんクルマ。小さいくせに中が広くてヘッド・クリアランスもたっぷりで、かなり使えた。シ−トも小振りだったけど、さすがルノ−って出来。ルノ−のシ−トは世界一。前・後席がフル・フラットになって大人二人が悠々寝ることが出来る。すごかった。トップをフルオ−プンにすると、解放感120%。そしてオニのような高速安定性。あのね、見るより乗る方が100倍値打ち、のクルマだった。トゥインゴでのおれのワザといいますと、初めて乗るひとを横に乗っけて、おもむろに左足を窓から外にだす。そしてシフトしながら運転する。クルマに乗ってるやつはまずびっくりする。これけっこう痛快まるかじりでした。そのうちにシトロエンは今をときめく松ちゃんことZAKにただ同然で売ることになった。東京に持っていった翌日にガソリンがだだ漏れしたりして、やってくれとったんやけど、そのあとどうなってるのかなあ、って心配してたら、なんと去年まで乗ってたって。それを聞いてほんとにうれしかった。
 
 で、しばらくトゥインゴとボルボのおりこうさんチ−ムとの日々だったわけ。しかし、なんかもの足りん。このままじゃ左足が退化していく。その危惧にかられたぼくは、千里の車屋でふと見つけた、ランチア・プリズマ・インテグラ−レを衝動買いしてしまう。紺の、コイツはいま考えてもワルそうなクルマ。デルタじゃないところがシブかった、と思ってる。ダ〜レも乗ってないプリズマのインテグラ−レ。こんなこと、ぼくが最も好きなパタ−ンなわけ。こいつも走ってて楽しかった。クラッチはあほほど重たいんだけど、山にいくとそれがなぜかちょうどいい。ステアリングをサソリのアバルトに替え、シフトレバ−は木製のものにした。ワインディングでは4WDにして重心がちょうど真ん中にある状態で回るように走るのは楽しかった。しかし、お店を始めて、いろいろとお金が要ったりして、ちょっとした金欠状態の時に、ミタキが買ってくれた。今もステアリングとシフト・レバ−はミタキのデルタについてるそうである。ほぼ同時期にトゥインゴも売った。それでお金があんまりなかった時期だったので、どうしようかなとも思ったんだけど、アルファ75の白と出会ってしまって、いつもの「我慢できん」状態になってしまいまして、購入。白がほんとはいいんだよ。アルファっていうとRossoってイメ−ジだけどね。そして以前から気になってたプジョ−309の赤も安かったし連続購入。今に至ってる、っちゅうわけなのよ。まあ、ほとんど道楽に近いですね。道楽そのものって意見もあります。でもさあ、ほんとに可愛いクルマばっかしなのよ。フェラ−リなんかには全然食指は動かないんだけどね。そもそもステイタスの体現としてのクルマっていう発想がないんだな、おれには。いっぱい壊れるけどしっかり直して次のヒトへ、なんてことも多かった。あ、そうそう、ぼくのクルマ壊した歴の中で特筆すべき現象がありまして、それはシフト・レバ−を「折っちゃった」ってのが、しかも3度(パンダ1回・シトロエン2回)も。ドリフのギャグに近いその現象ですが、そんな目に遭った人は、だいぶいろんな人に聞いたけどいない。おれだけか?しかも、3回も。これはどう考えるべきなんだろうか?そんな、ガッツでシフト・チェンジしてるつもりないんだけどな。してるかな?でもやっぱりシフトは利き腕、つまりおれの場合右腕で操作するのが人間工学上正しいと思う。最近、どのメ−カ−も(アルファまでも)日本市場を意識して右ハンドルのクルマばっかりになっちゃったけどおれはいや。左ハンドルが好きだ。よく代車で日本車借りるけど、ゴミ収集でもしようかな、ってくらい気分がlowになる。そんなときのクルマってほんまのおっさんのそれってことが多いんだけとさ。
 
 また春が近くなってきた。熊野にもまたまた性懲りもなく行くことでしょう。きっと今度もプジョ−でいくと思うけど、前回こわれちゃってイマイチだったから今度はきっとあっという間に1000kmほど走ってしまいたい、と思ってる。高野・竜神スカイラインも呼んでいる。今、昔のヒトリツウシンをリタイプしてお店に置こうと思ってるんですが、その熊野シリ−ズがとんでもなく面白い。一度読んでみてください。それもこれも、気に入ったクルマに出会ったからこそありえた話なのだ。時代とぼくの一生とのクロスの幸運な一例でした。これでぼくが10才若かったら、こうはいかなかったってとこが面白い。最近どうも暗い話題が多くて、こんなときだから、でもしょうがないなあ、って思ってたけど、こんな楽しいことを基準にモノを考えるとまあ、それも当たり前か、という気もしてくる。ただそんな「楽しさの実存」も事実なのだ。あかんときもあればいいときもある。ポシティヴに生きるって大切よね。イヤ、ホント。

posted by おれ at 15:23| Comment(0) | TrackBack(0) | クルマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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