2005年06月29日

<トドムンドを撮った映画へのオマージュ>

<トドムンドを撮った映画へのオマージュ>
 雨池十八丁目は存在する。文学的なレトリックではなく。現実の名称を「曽根崎デッドエンドストリート」と云う。お初天神商店街を南に下り悪名高きワンワンランドを左に折れ「露地」に入り熟女倶楽部をやりすごしカップル喫茶を通り過ぎればさらに小さな「露地」が現れる。ひっそりと数軒の店が軒を連ね、噂では「曽根崎キッド」なる希代のトリックスターが出没する。時間の流れがそこだけ異なる。映画が虚構であると同様に街も虚構である。しかし、だからこそ同時に2つの夢を与えられる「露地」なんて貴重である。
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AC

猟奇的・変質者的事件が次から次に起こって、なんかそんなのにもいちいち驚いちゃいられないから、そっち方面の感覚をひとは鈍化せざるを得ない。とりあえず、個人的には衝撃があるけど、メディア経由の衝撃は鈍化も速い。ぼくはとくに最近思うんだけど、こんだけ価値観が多様化しちゃったんだからもう地上波のTV局は廃業すべきだと思う。中学生でも近頃TV番組で盛り上がってるとこみたことないぞ。共通の話題の提示がすごく難しい時代だし、自分のことしか興味ない、というかもっとで、自分の興味あることしか興味ない、って感じ。ヤツらは。そのままの自分で幅を拡げたり、拡げられたりするのがすごくメ−ワクみたい。なんかそのうち会話じたいが成り立たなくなるんじゃないかな。幅を拡げるかわりになにか別の自分にワ−プしたがってる。自分を媒体にして別の自分へ。多重人格願望症候群ともいえる。ほんとの自分はその別の人格の中にいるう、みたいな感覚。夢想癖というのは誰でも程度の大小こそあれもってるものだけど、でもね、ほんとにそっちいっちゃって、そっちでメシ喰ってるとか、ウンコしてるとか、サイアク人殺してるとかやっぱまずいでしょ。しかもそっちっていうのは、ちゃんとした現実で、いっちゃってる意識はこっちの自分にもない、名前も別人なんてことになると、なんか「ワ−ム・ホ−ル経由ラウンド・トリップ30日間FIX格安チケットバッタ屋の旅行代理店で買いました」をいつももってるってことでしょ、例えていえばさ。
 最近顕著な病理、まあこれは全員同じ病気ともいえるわけで、きっと「性格」ほどの頻度に格上げされていくんだろうけど、別で最近話題によくのぼる病理というとPTSDである。トラウマ・トラウマって語呂がいいから、みんな最近よくつかってるでしょ。心的外傷という訳になってます。PTSDはその心的外傷を受けた後に出てくる症候群ですが、阪神大震災ぐらいから報道にも登場するようになりました。心的外傷というのはいろいろで、身近なひとの死とか、凄い地震の揺れというのもそうだし、レイプの被害に遭う、だってそうだし、試験に落ちるとかオンナにふられる、だってそうで、それは被害に遭う側のキャパとも関連してると思うんだけど、ただ、その心的外傷を受ける機会というのは圧倒的に自分が無力な時、つまり、子供時代ってのが多いわけで、その条件というのは、アルカホリック(アル中だね)の父親がいる、酔って家族に暴力をふるう、暴れる、自分も物理的な被害に遭ったり、酷い話になると父親や伯父さんからレイプされる、とかいろんなことがあるんだけど、そのなかでも特に酔っ払いの暴れるオヤジをもつ子供のことを「アダルト・チルドレン・オヴ・アルカホリックス」といいまして、日本人、最近略すのすきだから、当然これもアダルト・チルドレンで流通してしまった、という不幸な歴史がある。ただ「アダ・チル」になるほど、田舎の中学生にまではまだ浸透していない。なんか、おとなになれない、年はおとなのヒト、みたいな一種のピ−タ−パン・シンドロ−ムのような理解のされかたをしてた/してるように思えるけどどうだろう。「おれって、アダルト・チルドレンなんだ」「そう、でも子供っぽさのあるヒトってすきよ」などという会話があっちこっちであったかどうかはしらんが、意味チャウぞ、それ。昔、ライヴ後の打ち上げで、初見のガイジンに「アイム アブノ−マル」って言っちゃったキタバヤシジュンといい勝負だ。キタバヤシさんの場合、単なるSM好きなだけだった。ちょっとそれるけど、なんか省略・短縮、過ぎないかなあ。言葉って、身内だけに通じればいいっちゅうもんでもないだろう。それはコミュニケイションの本来の意味に反するばかりか、外国人=外部の人=他者を拒否して、わからないやつにわからせる時にこそ言葉をひとは選び、吟味し、慎重に発するわけにもかかわらず、なんか「ぬる〜い、湿気の多い」環境ができあがりそうよね。そんな言葉を使ううえでこのうえもなく安全な場所で自分だけの短縮形を競いあって作って、それをごく身近ななかで得意気に流通させても、結局、その集団は閉じていくばっかりだもんなあ。でもそんな人々にはきっとそうすることがなんらかの意味で必要なことなんだろうな。おれもこないだ、パソコン屋で「ボ−イチにしましょうか、ボ−イチ」っておたく店員にいわれてなんのことかわかんなかったぞ。ボ−ナス一括払いのことだった。なにも正しい日本語を使いましょうなんてことを云ってるわけではないが、なんか不快。表音語のアルファベットだったら、さっきのPTSDだとかWCWとかWWFとかプロレスの団体ばっかしで申し訳ないんだけどさ、まだ滑るというかするっといくというか、マ、確かにアメリカンも省略は好きだが、ABCってそれ用にできてるってことかね。日本語でもケ−スバイケ−スで、身近な例でいうなら、うちのメニュ−の珍味五種=ちんご、これはOK。なんだか、ポイントは「可愛げ」みたい。もうちょっと説明してみろ!って追及されるとちょっとこまるかもしれないけど。
 でアダルト・チルドレンである、その問題の。子供の頃、というと、家庭内ではどうしても無力である。そして大人の暴力には根本的には抵抗できない。そのなかでは臆病な子は臆病なりに、責任感の強い子は責任感の強いなりにある種の精神的負荷を背負いながら過ごさなければならない。そんな中でも自分をある程度表現できる子たちは、信頼のおけない親に代わって家庭の中での調停役を果たすことになる。臆病な子は、ものすごく現実から逃避し、ひどい場合、多重人格の最大の原因となる。そんな中で少年期を無事やり過ごしたとしても、そのPTSDは確実に残り、それはその後の人生でなんらかの形で表面化してくる。自虐的・被虐的・動物/子供の虐待・自殺願望・被害妄想・夢想癖、大人になってからはそんな傾向をとることが多い。
 彼らは、自分のしていることが、他人にとって役に立っているか、ということを異常に気にするし、自分の評判もものすごく気になるし、心の闇のようなものの中に大人になっても篭もる傾向がある。いとも簡単に他人を軽蔑でき、他人の多様さに安心することができない。精神的な自立がなかなかできずに、何かに寄りかかっとかないと不安である。「間」に恐怖をおぼえ、何かでそれを埋めようとしてそれが逆効果になることもあったりする。何かに復讐したいのにその対象が掴めないもんだから、無意識のうちに攻撃的になる。合衆国大統領のクリントンが自分もアダルト・チルドレンだったことをカムアウトしたのはまだ記憶に新しい。実はちょっと昔のアイドルにもアダルト・チルドレンが多かった。山口百恵とか秋菜とか。なんとなくわかるでしょう。類型的というか。
 その克服は非常に大変なことだ。周囲の人間(この場合は親以外の他人)の協力も要る。しかし、周囲の人間がいつも協力してくれるとも限らない。そんなものはお願いできるものじゃないしね。自分で克服する以外ないよね、そうなると。(さっきの例で云うと、モモエさんは克服してるみたいだし、アキナさんはどうもまだみたい)まずは自分をよく知ることからしか始まらない。これはそうじゃない人にも云えることかもしれないが、自分をまず見て、それを受け入れて、他人との関係においてその摩擦を減らしていく以外にはない。その社会的な治療が最近はできにくくなっている感は否めないけどね。イヤだって思えばすぐにその場から立ち去ることもよくあるでしょ。忍耐ということもこの場合は効果アリなのだ。
 最近の家庭を垣間見ると、親自体も未熟で、自分の欲望、結構全開だから、必然的にこんな子供がきっと増えていってることが考えられる。ただ、別の見方をすると、かつての日本でも、アダルト・チルドレンは存在したのに、なぜ今になってそれが頻発しているかってのがまた問題でもあるわけだ。ひとつには、自覚ってのがある。自分の不完全さを、まあ、親のせいにできる、都合のいい言葉なわけ、アダルト・チルドレンってのは。もちろん正真正銘のPTSDのヒトもいる。でも、程度としてはたいしたことないよ、っていうヒトが自分のダメさを親のせいにできる、ひどく便利な言葉でもあるのだ。もっと広い視野でものを考えてみると、フロイトいわく、全ての人間は生まれて、初めて意識を持った瞬間に、自分の無力さに気付き、それがまず第一のトラウマである、と。しかし、全員が全員PTSDに苦しんでいるかというと、そうでもないわけね。どこかで分岐点があるはずだ。やはり、その後の親との関係や、無意識のうちにそれを克服しようとしたかしないか、あるいは、単なる幸運・不運の積み重ねによるものとしかいえないな気もする。なんらかの立場を強制的に強いられた人、不満を押さえ付けられた人、家族の実質的崩壊の現場に立合って無力感を強烈に感じた人、そんな人にとってその環境が自分の臨界点(またでてきたね、クリティカル・マスです)を超えたとき、その症状に無意識のうちに逃げ込んでしまう。これはほんとに深刻なケ−ス。ただ、そうじゃないのに「なんかおもんない。おれは・あたしは、こんなはずじゃないのに」ってヒトもたくさんいるでしょ。その背景には、まず第一に、最初の環境である家庭で、そこで、なんだか妙な「理想の家庭」というものが設定されてて、そしてそれがひどく硬直化したもので、それはきっと大抵の今の家庭が、それを一旦は目指しはするが決してそのワク内には到達しない仕組みになってるような気がする。そしてその次に来るのが、「理想の自分」というわけ。それは実は歴史を遡って考えてみると、やっぱり出所は自由と平等の国アメリカです。それが階級のない日本でさらに見事に「商品化」されてしまった。欲望の喚起にかんしては日本とアメリカは、もうこれはもんのすごい。エステとか、占いとか、いわば、ほんとの自分みっけのための「商品」でしょ。多分昔は、自分なんてその程度のものだという、今の「ミ−イズム」のようなものがなかっただけなんだと思う。身分相応って言葉があるけど、自分に必要以上に期待していなかったってことだろう。誰もがイッパシの欲望を持ち、イッパシの口を叩く時代というのは、これはきっと前代未聞のことなんだろう。高度な資本主義の行き着いた到達点がこんなもんだったわけです。
 その高度資本主義社会がアダルト・チルドレン増産に拍車をかけてる。
 最近の犯罪の傾向って、なんか「安易で稚拙な<表現>」みたいな気がしてるんだ。本当の自分なんてそこにいるじゃないか、ってぼくは大声で云いたい。それでいいじゃないって云いたい。世界の情勢を冷静に分析してみれば、結局そんなのは「甘え」にごく近いということがわかるだろう。アフリカやコソボ(例えば)なんかほぼ全員PTSDだ。理不尽な暴力が過去の話ではなく、現在進行形でそこにはある。多分もうフォロ−できなくなると思う。世界中のすべての人間が社会福祉の講座を月イチで取っていくぐらいのことをしないともうフォロ−できなくなる。社会が荒れてるのは、これはもう全世界的なことで、イギリスやフランスだってものすごい、手に負えない荒れようだ。「個人主義」を標榜していた国ほど、民主主義を理想としていた国ほど、治療法のない重い病理をもってしまったことは皮肉以外の何でもない。個人・民主主義というごく近い過去においては、これをゲットすることが栄光だったそんな概念が世界を中から腐らせていくなんてこんな壮大な「皮肉」があるだろうか?結局ヒトはその程度のものだったってことなんでしょうか。やっぱり動物の方がエライ場合が多いのかもしれない。「巨大な処理能力を有する脳を持ちながら、それが処理できないほどの肥大した欲望をコントロ−ルできずに滅んでいった種」として何万年か後には地球の歴史図鑑に間抜けな顔して載ってたりして。なんかかっこわりいなあ。

posted by おれ at 01:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月28日

<季節限定・鰻の誘惑> <季節限定・鰻の誘惑>

<季節限定・鰻の誘惑>
 梅田阪神ビルの地下にあった「柴藤」も老松町の「川波」もなくなっちゃった。おじいさんがやってたとこはどんどんなくなっていく。さびしい。好きな鰻をこの時期喰いたい。東京いっちゃうか、鰻だけのために。

 その店は縦横に交わる大きな通りの角に申し訳なさそうにしてある。古ぼけた店構えにお世辞にもきれいとはいえないノレン。そのノレンには「うなぎ 江戸焼」とだけかいてある。たてつけの悪い戸を苦労しながらあけて中へ。カウンターが5席とテーブル中・小ひとつずつ。十人入れば煙で酸欠になりそう。だから時間は昼下がりがいい。

 鰻重を注文する。グレードは2500円ぐらいにしよう。高けりゃいいとか、デカけりゃいいなんてのは粋じゃない。ビールを頼んで「待ち」にはいる。鰻を注文してからの待ち時間、これも味のうちだ。なんかアテが欲しくなるね。しかしここで鰻関連のアテ、うざくやう巻や白焼きは今喉から手が出るほど欲しいんだけど敢えてやめとく。鰻重の感動を小出しに満たしちゃいかんわけよ。

 で、お新香と鯛の子&かぼちゃの煮物を頼むことにする。そしてビール飲みながらひたすら待つ。カウンターの向こうでは主人がぼくの鰻をさばきだしてる。これはファスト・フードに対する「アンチ・テーゼ」なのだ。待ち時間も味のうちというのはそんなことよ。忙しいときは早メシもしゃあないとは思うが、この一回のメシにかけるときもあってもいいじゃないか。「最後の食事」なんてことも可能性なんだから。いや、マジで。
 
 ビールを半分くらい飲んだ頃、主人が奥で焼き始める。しばらくすると煙の一部が空腹にはやるせないタレの焼ける薫りをつれてぼくの席までやってくる。これは自分の鰻だという確信があるから、なのとその薫りの狂おしく、いとおしいことか。理性が溶けていく。今、かつおぶし工場にまぎれこんだネコみたいな心境だ。例え、適切だったかな?でもほっときゃそーんな感じ。一応お店のひともいることだし、かろうじて焼いてる現場に乱入なんて事態にいたる精神状態の一歩手前で踏みとどまる。

 そして普段だと結構おおよろこびな鯛の子の煮つけも今日ばかりはセミファイナル。ナンツッテモ本日のメーンイベントはうなちゃんなあんだもおん。さらに主人仕事すること15分。そろそろ鯛の子食べ終り。ビールもあと一杯分。グイッといってもう一本なんてことにはならない。ぼくが店入ってからもう30分ほど経過している。いいのよいいのよ。ここでしばし空想に耽ってみる。最近気になってるオンナのこととか考えてみたりする。意識をここからトバしてみたりする。ビールとアテにより超空腹からは免れているからわりにすうっとそっち側いけちゃってそのオンナのカオとカラダが浮かんでくる。いいね。物事はそれが達成する直前の、達成の予感を強く感じながら、しかし未だ現実とはなっていないというスレスレの瞬間が最高に素敵だと思うがどーだろう。
 
 お待たせしました。おかあさんの声で現実へとひきもどされた。あっちもよかったがこっちの世界もまあなんてス・テ・キ。塗りの器の蓋がかるく浮いてて鰻の下半身がハミ出ている。ハミでるという表現および状態好きだなあおれ。

 豊かさという根拠がそこにはあってなんだかそれをもてあましてる。もてあます、という表現および状態、これも好きだなあ。よかったらぼくお相手しますけど。しかしねそんなバカなこと考えてるよりも現実の方が勝ちなわけね。蓋を開ける。存在感。しかしただデカいだけじゃね。
 
 まむしもいいが、やっぱり蕎麦と天ぷらと鰻は江戸前がいいね。ふわふわの鰻にサンショウたっぷりで脂ののったお腹をせめる。もてあますほどの豊かさは口一杯に広がり、そして食べ終わるまで約15分。陶然となる小一時間である。
posted by おれ at 10:54| Comment(0) | TrackBack(0) | お料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月27日

《プジョ−309GTiそしてアルファロメオ75ミラノとの日々》

DIAS COM LANCIA PRISMA INTEGRALE e
  RENAULT TWINGO
   改め
 DIAS COM PEUGEOT 309GTi e
  ALFA ROMEO 75 milano
 《プジョ−309GTiそしてアルファロメオ75ミラノとの日々》

 と、いうわけでして、ランチアもトゥインゴもおりません。売ってしまいました。名残りおしかったんだけど。今回ワタクシのお目がねにかなった、これらがそのお二人でした。アルファはなんと珍しい、白です。プジョ−はなんとオレとしたことが、赤。いや、メンボクナイ。しかし、一度乗ってみたかったんだ、赤。309は前期型で、スポイラ−が黒のウレタン、今はここが気に入ってる。130馬力にもかかわらず、車体が軽くてですね(1t弱)、かなり獰猛です。まだ五月山も、熊野も、高野竜神も攻めてませんが、ぐりんぐりんカ−ヴは、か・な・り・おもしろいと思う。そんなクルマばっかしやんけ〜。という意見もよく聞きますが、・・・・・・それがど−した。前のプリズマ・インテグラ−レよりも車体が2・300kgは軽い。毎晩ほろ酔いのバカ頭で新御堂を、このフレンチ・ロケット、カッとばして帰ってます。夜になるとオレンジいろのインパネが浮き世ばなれしててオンナのこたちには「効く」かもしれない(ごめんちゃい,も−しません)。
 
 そしてアルファだけど、嬉しくなるぐらい(嬉しがってちゃあかんねんけど)結構マイナ−なトラブルがある。バッテリ−の自然放電量が他のクルマに比べて格段に多いから、昼間にたくさん乗ってあげて、いっぱい電気を蓄えた後じゃないと夜に乗るのがなんか心配。でもそのアルファ伝統のV6エンジン!これだけでも乗る価値があるでしょう。

 6000回転まではアッという間に吹き上がって、しかも軽快だからアクセル踏むのはものすごく楽しい。お金ができたらショックをかえて乗り心地を改善したらきっともっとイイクルマになるだろうなあ。75というのは最後の純粋なアルファだから(FIATに吸収される前の、最後のFRであり、トランク・アクスルであり、ソフィア・ロ−レンみたいなケツであり・・・)美点はたくさんある。中もけっこう豪華。なんじゃこれって感じのパ−キング・ブレ−キのレバ−も健在。いままでのトラブルといいますと、エンジンかかんなくなった3度、ク−ラ−の水が助手席に漏れ出してきた1度、交差点の入り口で止まった1度、なんだかわからんがボンネットから煙が出てきた数度、これはエンジン・オイルが漏れていて、まだ未修理。

 そしてこれから書くことは、久しぶりの恐怖体験。でもALFA ROMEOのせいじゃないんだけどね。いつもの豊津の孫田石油でその漏れたオイルを拭いてもらって、それだけじゃ悪いから、ガソリンも満タンにしてもらって梅田へと用事を済ますために新御堂に乗りました。新御堂を降りて、天六の方へ曲がる交差点を左折しました。するとその時、右のフェンダ−・ミラ−に、錯覚かなあと最初おもったんだけど、アルファが「水」を噴いているのが目に入りました。「なんだ?」と思いました。路肩に止めました。降りて見に行きました。「ぎょえ〜」ってなりました。

 だって、給油口の蓋がないんだもん!なんでやねん。さっき水って思ってたのはなんと「ガソリン」だったわけ。満タンに入れてるわけだし、左折時に遠心力でぶわ〜って噴き出しとったわけ。スタンドのやつがちゃんと閉めてなくて、走ってるうちに振動でとれちゃったのね。さすがに冷えました。とりあえずなんかで蓋をしようと思って、目の前のコンビニに走り込み、「布」をさがしました。ぞうきんなどは売ってないだろうなと思い、その時にふと思ったのは、タンポンを束にして差し込んだらどうだろう、と思い、「こりゃ名案だ!」と思って実行に移す前に、「タオル」をみつけたので無難な解決法を選択しました。

 そしてそれを丸めて、給油口にねじ込み、もう一つのタオルでまわりを拭き、急きょ帰ってきました。しかし、映画などでクルマを爆破するときに、タオルをねじこんで、火を付けるとかよくあるじゃない。どうもそのイメ−ジがあって、タンポンの方が良かったんじゃないかなあ、と帰るまで思ってました。でも、帰ってから、どれくらい漏れてんのかなあ、と思って、チェックしたら、もうぐしょぐしょになってたから、ガソリンまみれの膨張したタンポンをしかも束で引き抜くのも、なんかなあ、だったので、消極的ではありましたが、自分の決断はそれでよかったのかなあ、と納得したわけです。でも、にもかかわらず、「給油口にタンポン」なアルファなんて世界に一台だよなあ、などと、妙に心残りなおれってだいぶばか?

posted by おれ at 15:23| Comment(2) | TrackBack(0) | プジョー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月26日

REAL or UNREAL

あまりにリアルだった。そしてあまりに自分の思い通りに事が運んでた。そしてある時、その最中に「これって夢じゃないの?」って思った。周りのみんなにそれをいうと「なにいってんだ」って笑われた。でも「絶対これは夢だ」と思った。で、ほっぺをつねってみた。そしたらさ、痛いのよ、微かにだけど。結構そのときは集中してたから間違いない。痛みを感じたんだけど、みんな、そんな経験はないですか?
 結局夢だったんだけどさ。
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2005年06月25日

<第5回トドムンド秋の大旅行> <第5回トドムンド秋の大旅行>

<第5回トドムンド秋の大旅行>
 今回は河原でキャンプということになりました。水遊びができて、星が見えてなんてことで絞って行って、ほんとは龍神の横をちょっと入った小又川温泉にしよう、と前々から思っていたんだけど、そこのキャンプ場が「もうやっとりません」ということだったので急遽さがしました、九度山どーむびれっじ。連休にもかかわらず、けっこうギリギリなのに空いていた。そこんとこちょっとイヤな予感がせんでもなかったが、そしてひらがなのネーミングがちょっとひっかかったが、ノーチョイス。でも、みんなで行けばそれなりに楽しいはず、と団体行動超苦手なおれとその部下たちが一瞬思ったりするのがこの集団のへんなとこともいえる。
 
 今回の参加者: 
「くみくみ、またはくみこ・・・御存じトドムンドの料理人」
「えりちゃん・・・ビーズ職人・トドムンドにも置いてます。作るシリから、みんなにバカ売れ」
「アイちゃん・・・大学院三年生・いつまでもお勉強してなさいね」
「しばちゃん・・・美人マッサージャ−・トドムンド土曜日夜担当・ゆうべ遅かったのに運転手」
「陽ちゃん・・・くみこ連れ・花見にもおりました」
「ミタキ・・・トゥインゴ運転手・ミュージシャン・阪神のBFでかまぼこ屋をやめたがっているがパパ」
「めぐ・・・前回のこまったちゃん・一年経ってやや成長・人文科学専攻のFカップ」
「サカキバラ・・・106運転手・ミュージシャン・めぐのドレイ・であるがたまに天敵」
「うえのくん、あるいは重たいかばんの男・・・アイちゃん彼氏・かばん重すぎて腰痛める」
「うのくん、あるいは鳥男・・・初参加・謎の人物・不穏な情報あり・アウトドア家族」
「あおみちゃん・・・美容室チェントロスティーレのねえさん・金曜夜担当・酒強し・が遅し」
「まっきー、あるいはまきの・・・平成の無責任おんな・プロペラスタジオ勤務」
「いぬ・・・ミタキ/サカキバラの連れ・初参加・タンバリン・ひと」
「ながい・・・アフロ・もはやジーパンといえないジーパン・おもろい顔99%・かわいい顔1%」
「みっち・・・今回の隊長・最近セックスし過ぎ・アナルは禁止」
「おれ・・・・社長」

 例によって山田駅に11時集合。今回もクルマ4台に16人。あ、けっこうキツキツだね。ま、いいか。じゃいくよ。と、おれのサーブずるっとムイたのを先頭に、みたきトゥインゴのペニス4本チーム、サカキバラプジョー106の一触即発チーム、しばちゃんワンボックスと続いて近畿自動車道を南下。あっとしばちゃん号早くもおくれる。近畿もなんだか飛ばす感じじゃなかったからトゥインゴ・106を先行させて、しばちゃん号を追いつかせてあげる。しばちゃん号には、みっち隊長・えりビーズ職人・アイ大学院生・くみこ連れ陽ちゃんの5人乗り。サーブにはくみこ料理人・あおみちゃん・まきの。そこで、連続車線変更の族ワザを披露する。昔、これやってておまわりが後ろにいて、停められて、怒られたことがあったなー。「にいちゃん、二ついっぺんはあかんわ」だって。でも許してくれた。免許取り立てだったからかなあ。今思えば牧歌的だったよなあ、当時。
 
 4人いっぺんに両手上げたりバカもそこそこやりながら近畿から阪和に入って美原北でおりてR309へ。結構混んでる。まあでも今回けっこう近場だし、そんなに焦ることもない。ゆっくり行こう。R170が、しかし、これまた大渋滞。なんでやねん。前もって、昼メシは極力しょうもないもんを食べときましょう、ということになってたので、放尿休憩も兼ねてファミマ駐車場へと4台強引に乱入。各自しょうもないと思えるものを購入してもぐもぐ。おれはカレーパンでした。
 
 河内長野から橋本へと向かう。この道はそこそこ走れる。さて、橋本で食材購入。オークワであれやこれや買う。バーベキューと鍋のダブル攻撃だから、けっこうたくさん買い物しちゃったね。「ながい、大根おろし器さがしてこい」「これでいいすか」「いや、お前が使うんだし、使いやすいのにしろよ」自分の運命を悟ったながい。鍋があるから翌朝は雑炊かな。おれ号だけ酒を買いに向かいの酒屋へ。ウォツカを買いに行く。2・3本あればいいか、と思ったが、あおみちゃんから「今回ズブロッカ飲み多いで」との忠告あり。うん、なるほどね。計5本買っとく。こら、くみこ、こっそり焼酎買うな。そしてふと違和感がないことに気づく。なんのことか?それはお店のBGMなんだけど、トーキング・ヘッヅの「Take me to the river」が流れてた。そういえば、その前はスクリッティ・ポリッティだったなあ。おれのクルマとそう変わんない。違和感のなさの正体がわかってスッキリ。しかし、変な酒屋だった。

 みんなが待ってる高野口まで急ぐ。そして高野山道路には入らず、まっすぐ行く。30分もしないうちに到着。おー川きれい。クルマを駐車場に停めて、吊り橋を渡るんだけど、荷物はそこのにいさんが軽トラで取りに来てくれる。50mほどの距離なんだけど、にいさん急加速・急ブレーキ・急ハンドルでキイーッとやってくる。さっすが、べっぴん多いからにいさん張り切ってるねー。
 
 手続きをして借りるものを揃えて、所定の場所へ。川の橋の下だった。橋の下といえばぼくの住んでる豊津の橋の下にホームレスのひとびとが5人ほど最近越してきたみたい。一瞬その同一性を思ったが、みんなは「雨が降ってもだいじょーびー」かなんか、喜んでる。事を荒立てない方がいいだろうね、この場合はね。
 
 空はピーカンではないが、雲もほどよく、みい〜んみんみんみい〜んとみんみん蝉が鳴いてる。翻訳すると「やらしてくれ〜」となる。大変だよなあ、寿命も短いのに。目の前の川の水はさほど冷たくなく、白を冷やすにはどーかな、って感じ。赤だったらと思って、6本水につけにいく。あと三千盛超特(これはおれの裏第一位)と浦霞も。おれはどちらかというと、早く鍋をこいつらで喰いたいと思ってるんだが、世界の流れはBBQなのである。反乱も革命も胸に収めることにした。 
 
 食材切ったりする係と火をおこす係に自然に分かれて、けっこうみんなてきぱきしてる。「やればできるじゃないの」。火をおこすのが得意という、謎の人物鳥男うのくんがバーベキュー台の火付けにガスバーナーを持参していた。「お、やるね」で、点火。ゴーー。お、燃えてる燃えてる。て、いうかガスバーナー本体が燃えてる。それ、いかんのじゃないの?うのくん慌てて、消火。裏からガス漏れてたみたいでした、だって。
 
 うのくんデビュー失敗の巻。しかし、それでもなんとか火はバーベキュー台にもかまどにも入り、上からも食材が運ばれてくる。もう勝手にビール飲みだしてるやつもいるし、タンから始めようね。音楽も流れ出して、まあ、いつものトドムンドの延長みたいになってる。おれはまずブーツィー・コリンズとしまちょう=てっちゃんでまあひとつという感じ。サンバにバラ、ヴァンモリソンに椎茸、カエターノにピーマン、チーフタンズにウインナー、さまざまな組み合わせにさまざまな酒がうまいよね。

 シャブリ・ソアベ・ガヴィと白がどんどん空いていく。みんなペース大丈夫?かまどで炊いたごはんが旨そうだった。おこげできてる?めぐが覗いて「表面にぽつぽつできてる」「あ、っそう」「ん?」「それ一緒に炊いた胚芽米の色やで」たのむでしかし、めぐみー。

 焼肉には赤もどんどん空いて、隣の団体が花火をがんがんあげだして、暗くなってきたからいい気分。ミタキの持ってきたジャンベがいい。真ん中はベタッ・ガワはコーン。岸がこれひとつでいろんな音出せるのがわかった。本格的に暗くなって、ランタンの灯りと炎だけが頼りの人生だ。このランタンというやつ。なかなかヒトを思索的に見せる。アホたちの集団が、ほんの少し賢い集団に見えてくるから不思議、ながいでさえも。酒も関係してるとは思うんだけどね。きっと錯覚だね。

 しばちゃんが「わたしちょっと寝ます」と、宴の中央でダウン。昨日遅かったかな。マルタニカズいっとくー。うーん、みんなノリよくなってきたねえ。めぐがジャンベを叩いてる横でおっさんが暴れてる。ん・YEAH・ん・YEAH・ん・YEAH・ん・YEAH・ん・YEAH・ん・YEAH・ん・YEAH・ん・YEAHと暴れてる。飲んだサカキバラはめぐにはけっこう強敵だ。というか、おれはそれを眺めるのがだいぶ楽しいんだけど。生意気いってたむすめがおじさんのしつこい責めに堕ちていく、といったある種のAVを見ているような気になってヒジョーに楽しい。めぐががんばればがんばるほど逆に客観的に被虐感がつのっていき、おれは嬉しくってたまらん。もっとやってほしいなー。ただし、これは普段のサカキバラの必要以上にちゃんとした部分があって始めて成り立つもので、その際はめぐにけちょんけちょんに言われっぱなしでないといけないわけである。そう、けちょんけちょん度が蓄積すればするほど、この飲んだときの逆襲の責めの意味が深まって、ヨイわけである。ま、本人たちはなんもそんなことは思っとらんとは思うんだけど、そこに意味を見い出すのが作家なのである。だからこれでいいのである。
 
 そろそろ鍋いこうよ。ポン酢は土佐のゆずづくし。去年の冬、二日に一回は関大前の家で鍋やってたんだけど、その友がこのポン酢。うまいうまい。もう三千盛超特いっちゃうぞ。うーん、いいね。酒呑みのための辛口、しかしこのボディ、よいですなあ。うめ〜よ。これぬる燗もたまらんのよ。中秋の夜更けにアナタと呑みましょうね、月なんか眺めながらね。なんかみんなくいくいいっとるなあ。これ2本にしたらよかったかなあ。
 
 しっかし、だいぶボルテージ上がってきたね。にいさんの話では夜10時以降はちょっとオサえてね、ということだったんだけど、こりゃ無理だな。ま、怒られた時は怒られた時だしね。と、いうことで、店から持ってきた3000円ガットギターを手にして、ミニライヴ。みんなも適当に何か叩きながらついてくる。呑んでるから声がダメね。ちょっと休憩。もっと呑もうっと。

 ん?背後で不穏な気配。その頃は真っ暗でランタンの灯だけで、この橋の下だけがぼーっと明るく辺りはまったく見えない。「ぼっちゃ〜ん」と音がした。「行きやがったな」あおみちゃんとまっきーが着衣入水。「きゃーきゃー」という声がしてる。行く行くとは思ってたんだけどね。10分ほどして、二人ずぶぬれで帰還。風邪ひくなよ。歯ー磨けよ。
 
 そして再度CDオン。そんなアクシデントもあったからか、なんか火ィついちゃった感じね。叩く・踊る・騒ぐ、という感じ。あおみちゃん、こけないでね。あ、こけた。みっちが膝に乗ってきて恒例の騎乗位疑似セックス。ん・YEAH・ん・YEAHも健在。その時おれの目に飛び込んできた激しい動き。少し酔っぱらってるせいもあって、ん、なんだ、錯覚かな、と思った。おれの腰のあたりで何かが激しく揺れている。それもかなり奔放な、というかパンキーなというか・・・・・。
 
 よく見たら、美人マッサージャ−のしばちゃんが、寝てたはずなのに、身体起こして激しい揺れ。大丈夫かよ、クモ膜下出血ならないでね。しかし、なんという激しい動き。この「美人マッサージャ−の奔放な下半身じゃなかった上半身」は、みんなのノリにおいて、「火に油を注ぐ」結果となり、シューマイ入れんの忘れ、鍋喰うのも忘れ、サカナ喰ったっけなあ、つみれは喰った旨かった、まぐろのヅケも作ろうって言ってたのになあ。ただただノリの塊と化したバカ集団をつれて夜はどこまでも更けていくのでありました。

 翌朝、喉の乾きと頭痛で目が覚めた。ゆうべ、eve飲まなかったもんなあ。となりにはまっきーが寝てた。8:00am。腰もあいたただ。お茶を買いに起きる。お茶を2 缶買ってひとつイッキ飲み、もうひとつを持ってゆうべの現場へ。あ、けっこう片付けられてる。ゆうべは真っ暗で何がどこにあるのか、おれはぜ〜んぜんわからなかった。

 あったま、いてててて。しょうがないからジャンベでも叩く。川では早起き(ったって普通か)の親子連れ、ワカモノグループが水遊びをしている。気にせずジャンベを叩く。マダガスカル・レユニオン島のハチロクの研究をする。海が生んだリズムはやさしく麻薬的である。30分ほど叩き続けて、気がついたら頭痛直ってた。しかし、ハラ減ってきたなあ。みんな起きてくる気配もないしなあ。昨日の鍋を開けてみる。

 うわっ、なんじゃこりゃー。水を吸って巨大化したシューマイが満員電車みたいになってる。だみだこりゃ。雑炊の夢はもう破れてしまった。がっくり。で、バーベキュー台を捜索する。アルミホイルに包まれた物体を隅っこに発見。なんだろう。取り上げてムイてみるとじゃがいもだった。背に腹は変えられんので焼き過ぎですかすかになってるとこを除けてもぐもぐしてみる橋の下。泣けてきそうになったが、こらえてジャンベへと向かう。 
 
 10時くらいになってばかたちがぞろぞろ起きてきた。釣りを始めてるやつがいる。うのくんいきなりパンツ一丁で入水。さらに何人かも入水してる。隊長、水中放尿やめなさい。いぬとみたきも引きずり込まれてる。いぬが犬かきしている。そこへあおみちゃんが近づいて頭を水中へ。ハナっから朝メシつくる気などないやつらたちである。食いものがどこにあるかわからないから、特に外部のやつらはこの辺ごそごそできないしなあ、とおもって、発見した梨の回し食いをオトコたちにすすめる。
 
 そのうち朝メシ製作できるひとびとも起きてきて、雑炊が消えたことから「どーしょーか?」と話し合う。とりあえず、米はあるので残りの野菜で味噌汁作って、あ、そうだ、焼そばあったな。野菜を切ってきて火を起こして焼そばをおれが作る。あおみちゃん、いきなりビールですか。でも、おれも飲もう。となりで鍋かけて、ごはんも炊いて、と。卵が残ってたから味噌汁に入れたり、ぶっかけたりして、なんとかなるもんだね。おこげが旨かった、今回。バターしょうゆでいっときました。
 
 一応1:00にでなきゃいかんことになっとったみたいだけど、ここはけっこうそーいうとこルーズでありがたい。シャワーを浴びたり、借りたもの返したりしてとりあえずバンガローというか、掘建て小屋というかそのB-3とB-2へと引っ込む。
 
 寝、に入るもの多数。「奔放な下半身じゃなかった上半身」のしばちゃんが隊長をあんま。おれもこっそり近づいてケツを揉む。「あ、指増えてるー」「わかった?」普通の社員旅行なら完璧なセクハラね。B-3でオンナたちがスーピーしてる頃、B-2ではみたきたちが音楽中。マルタニカズをやってた。コードが違っててどーも気持ち悪いので修正にいく。なんだか、盛り上がってる感じ。デヴィッドボウイやったりマルタニカズに戻ったり、ジャンベとバンデイロとアコギでけっこういい感じ。外のベンチで寝ッころがってぼーっと聞いてたら、みい〜ンみんみんみい〜ンと相まってなんかよかった。。
 
 なんだかんだぐずぐずして結局4時までそこにいて、ええかげんにせ〜、っちゅう感じで九度山を後にしました。また来年も行こうね。では陛下、最後にひとこと。

「来年度も、皆と、ともに、いづれか、良き、場所へと、行くことの、できるむね、きぼう、します」
posted by おれ at 12:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月24日

料理番組、困った感じって感じ


<料理番組という幻想>
 自分自身も料理は好きで家でも作ったりしてるんですが、それとは直接関係はないが、料理番組というジャンルがある。ほんとうにたくさんあるんだけど、時間帯的にぼくが見れるのは、キユーピー3分クッキング・上沼恵美子のおしゃべりクッキング・奥村あやおの今晩何食べるぐらいなんだけど、それぞれなんだかヤバいと思ってるのはおれだけか?
 
 キユーピー3分クッキングはおばさんの先生がヤバい。ワカモノの日テレのアナウンサーを助手(茶々入れ)に・・クンなんて新婚のヨメがたのおかんみたいなみょうに親密な感じがエロい。ヨメが買い物に出た隙に料理を教えながらワカモノの手を自分のチチんとこへ持ってくんじゃないか、なんて想定でもっておれは結構ハラハラしながら見てるんだが、いませんかね、こんなやつ。

 若手の日テレアナウンサーくんもまた当たり障りのないコメントを連打して、その変な気の遣いようがこれまた腫れもんにサワルかんじでエロい。帰ってからの禁断の「ネタ」みたいな感じがある。ヨメが「おかあさん、どーだった?」なんて質問に「べつに、普通だよ」なんて答えながら「省略多し」みたいな、ね。
 
 おしゃべりクッキングは、そうね、まだこれが意外とまともかもね。あんまり違和感ないんだな。これはゲストしだいって感じ。どの先生もそれなりに説得力があって、勉強になる。
 
 こまったのは奥村あやお、なるおっさんである。このおやじはかなりのこまったちゃん初老版だ。ひとがどんなに罵声を浴びせようが、生卵投げつけようが、家族を人質にとろうが、効果なし、なハイパー・マイペース・だだズレおやじである。しかも、周囲はたいがいめーわくしてるだろうなあって感じがひしひしと伝わってくる。料理自体はあたりさわりのない「別に」なものばっかりなのだが、そのあとの一言コメントがすごい。おれももう100回以上それ聞いてイスから転げ落ちてます。何をいうかわからないのでヒヤヒヤする。そして極めつけなのは、そのポーズ付き一言で「止まっちゃう」のだ。3秒ぐらい。永遠の時間に思えますね、その3秒って。

 止まるといえば、故淀川長治大先生の「さいならさいなら・・・さいなら・・・・・・・・」の後半の・・・が思い浮かぶが、淀川先生のストップはこちらも首同じ向きに傾けたりして、同じさいならの口になってなんだか先生とおれ微笑ましいね、なんだか少し照れるけど、って感もあったが、この奥村のおやじのは見ててこちらが恥ずかしい〜くなる種類のそれなんだけど、それを、まあ早い話「こわいもんみたさ」っていうのかなあ、変に気になってる自分がイヤ。主観だけで生きてる人間の強さがあるなあ、そこには。結果的にごっつい長生きしそうないやな予感がします。このヒト。
 
 そして料理番組と言えるかわからないが、あの一ヶ月一万円生活ってのもかなりキてる。よいこの濱口と同居してたにわとりのしゃくれが自分が今生んだ卵で濱口が作った卵焼きをつついてんのって、それ自分の子供っていうか自分自身というか、それが食糧ですか、という現実はなんだか超ブラックで笑えなかった。

 それって「下血を輸血」なんてコンセプトに近い?遠い?どっち?
posted by おれ at 11:57| Comment(0) | TrackBack(0) | お料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月23日

Bee-ボーグとの闘い

< BATTLE AGAINST BEE-BORG>
 最近、ベランダでよくハチを見るようになった。でも別になんちゅーこともなく、ただ「おるなー」と思ってた。ハチぐらいいるよね。で、ぶんぶんぶーん、ハチがとぶー、なんて悠長にこころのなかで歌ってた。

 ところがある日、ベランダの、隣とを隔てる間仕切りに巣を作ってたのを発見した。けっこうな大きさ(テニスボール大)になってて、けっこうみなさん集まってて、「我が家」化しつつあるということがわかったから、悩んだあげく、トングで取って2階へ放った。2階の人めーわく。

 それで一件落着だってその時は思った。一週間ぐらいは忘れてたし、かつてのハチたちの我が家は根っこのようなものがあるだけで「建て直し」のニュアンスは感じられず、しかし、ハチはたまに飛んでいて、まあ飛ぶくらいだったらやっぱりいいだろうって思ってた。
 
 ある日買い物に近所のスーパーへと出かけた時となりのおばあさんに「ちょっとちょっと」と呼び止められた。
「ハチがすごいでしょ」
「そういわれればそうですね。ぼくもこないだ仕切りの板にできてた、ハチの巣処理しましたよ」
「いや、おたくのパラボラのふたつあるうちのうちから遠い方に巣ができてて、こどももいっぱいいるのよ。なんとかしなさいよ」
「えっ、ほんとに?」
 
 急いで家に戻って見てみてびっくらこいた。ぼくの側からはちょうど死角になってる凹みいっぱいにソフトボール大の巣がもうぱんぱんにできていて、4・50匹のハチがそこにたかってた。こっちが本家だったのか。そーゆうのをみるとまずおれは「かい〜く」なってくるんだけど、その時はそれを通り越して、「さむ〜く」なっていたのであった。

 こうなるとノーチョイス。お引き取りいただくしかないじゃないか。で、どうしようか?まず殺虫剤かな、と思った。しかし、薬屋が水曜日で開いてなかった。どうしようか?そうだ!!!泡ハイタ−はどうだ?なんとなくヒラメいた気になって買いに走った。帰ってトングを持ち出し、ちょっと戦慄だったけど、ガキッとつかんでグキッとひねって取った。数十匹のハチが飛び出してきた。何匹かは我が家と運命を共にする気のようだ。2階へ。

 そのあと泡ハイタ−による攻撃を開始した。お願いだから反撃はやめてね、と祈りつつ。その凹みが泡だらけになっていた。おれとしては殺意はないんだけど、ただどこかへ行って欲しいだけなんだけど、多分2・3週間そこで暮らしてたわけだしね、ハチにしてみたら。その「寿命」を考えると、その我が家はもうかなり住み慣れた我が家になっとるわけで、ふと冷静になるならこの露地の立ち退き勧告もなしにいきなり鉄球による実力行使に及んでるわけで、新世界のカラオケ屋台の強制撤去だって、「やるよー、やるよー、ほんまにやるよー、やっていいかなー、いいのかなー」なんて通告が数カ月あったりしたわけだから、おれがやってることは暴挙なのかもしれないな、と思う。
 
 しかし、それでフィニッシュしたつもりだったのだが、イヌはひとに、ネコは家に、なんていうが、ハチはかつて我が家のあった場所に・・だった。数匹で飛び回っているのを目撃し、その度に追っ払う意味で泡ハイタ−攻撃をしていたのだが、それにもなんか飽きて、ほらもうフィニッシュのつもりだったからさ、一週間ほど経ったある日、ふと予感がしてベランダに出てみた。

 かつてあった本家の方は何もなし。じゃ分家は?と目をそちらへやって「あ」だった。巣の再構築が行われていた。まだピンポン球大にもならないが確実にそれは出来つつあり、そしてその今はまだちっちゃな我が家に6匹のハチがたかってたというかくつろいでたというか、とにかくそこにいたわけ。何か作業をしてるようにも見えた。Borgだ。その様子はボーグの機械的な作業を連想させ、「我々はボーグだ。お前たちを同化する。抵抗は無意味だ」というあのメッセージが聞こえた気がしてくるじゃないか。その途端、そのハチの巣はボーグ・スフィアになったというわけだった。ここらへんトレッキーでない方々にはよーわからんと思うが、ボーグの恐さとその社会構造のハチとの類似性は映画「スタートレックファーストコンタクト」を参照してね。

 それでこちらもピカード及びデータ化せざるを得ないわけだった。おれの泡ハイタ−はこの瞬間からフェイザ−になった。ハチ自体にはなんにも恨みはないんだけどね、人間たちがめーわくしてるからしょうがないんだね。ヒューマニズムなんてこの程度のものなのよ、みなさん。

 でピカード及びデータ化してしまったおれは別につるっぱげでも白塗りでもないんだけど、泡ハイタ−を構え、一撃・・・あら、一撃・・出ない。しまった、<止>になっとった。

 ボーグもハチもこちらから何かしない限り、まずは襲って来ないわけで、これはまあ助かったんだけど、<出>にしてもう一回巣に狙いをつけた。「FIRE」と心の中で唱えながらピユーピユーピユーとまずはスフィアを泡だらけにする。するとスフィアを守ろうとする隊と、そこから離れようとする隊に別れた。離れようとする隊は三匹こちらに向かってくるでもなく右往左往している。慎重に狙いを定めて一匹一匹泡だらけにしていく。少々泡がかかって失速してもまた持ち直すから、こっちも半端な気持ちではできず、けっこうアッツくなってしまっているのだった。躊躇がいかん。そしてトングでグキッとやってまた2階へ。

 未練があるハチたちをまた泡だらけにしていく。ふと、気づいたのだが、このハチ攻略に「効率」を考えている自分がいてびっくり。アウシュビッツの執行官と同じじゃん。生命を奪っている自分に嫌悪感も覚えつつ、ベランダを泡だらけにして、殺戮は終わった。もう二度とここに巣を作らないように痕跡をていねいに消して、気分はすごく悪かったんだけど、すぐに忘れてヨーロッパ選手権のVTRのセットにかかった。
 
 何度もいうがこれが厳密な意味でのヒューマニズムであり、ヒューマニズムなんてこの程度のものなのよ。
posted by おれ at 12:21| Comment(0) | TrackBack(0) | startrek | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月22日

いつもこころにオッさんを!!!

<いつもこころにオッサンを>
 まあ店のオンナどもを見てて思うことなんだけど、これは特にうちの店に限ったことでもなかろう、と思い、ちょっと一言。80's後半くらいからかな、オンナたちがオトコの持ち場(仕事場・遊び場)へと進出してきた。たとえば焼き鳥屋とか競馬だとかね。そしてそれに伴ってそのフィールドはおれには面白くなくなってきた。

おれはそんなにその現場にいたことはないし、当時はまだワカゾ−だったこともあり「うっとーしーなコイツラ」なんて経験そう多くはないんですが、でもオッさんのある種聖域でしょう、そういう場所、そんなところに土足で乱入やりたい放題、そしてそれをメディアがもてはやすってのは、なんだか気の毒な感じがしてた。

 そのうちに経験値高くなったオッさんの中には、オンナたちに対応することを覚えちゃったオヤジなども現れたりして、その同情自体も中途ぱんつケツ半だし、みたいなことになりまして、まー、そんなこたぁどーでもいーかって思ってたわけ。
 
 そして当たり前のことだが放っとけば時は流れる。そしてそのオンナたちにとって異空間だった場に彼女たちも馴染んでき、社会全体のコンセンサスとしてそれが当たり前として成立する中で育ってくる、いわばそのことを当然として受け入れるもっと若いオンナが現れるに至って状況は違う次元へと移りつつあるように見える。
 
 結論からいいますと、伝統的な意味での正しいオッさんに彼女らがなっていっとるっちゅうことだよ。今オトコたちはオッさんになることをあまりに敗北視してる。オッさん化=もてねえ、だからだ。マニュアルに頼り過ぎやっちゅ−ねん、オマエら。もてなくたっていいじゃん。もてんのも大変よ、けっこう。

 マニュアルに頼り過ぎなのはホンモノのおっさんらも同じく。トイレで新聞読んでてオッさん版メンズノンノみたいな雑誌の広告見つけて(LEONだね)驚いてそれから吹き出した。「イタリアオヤジに学べ」だってさ。たぶん、ベースにはジローラモくんの存在なんてのがあるんだろうけど、他人を完コピすることの恥ずかしさはみんなで棚上げしてその雑誌を成り立たせようというその動機がいかんやろ。イタリアをも消費しつつある、その日本のメディア実感ないな〜んにもあとに残らん文化なんてさ、ひとのフンドシで相撲とんのもいいかげんにしとかないとね。
 
 ミもフタもない環境で育たざるを得ないワカモノたちに対する同情を禁じ得ないが環境そのものをおれの手で変えてあげることも、身の回りのことなら可能だが、知らんコはどうしようもないから、まあみんな世間の荒波にもまれてちょーだい、また出会う事があれば仲良くしようか、くらいしかいいようがない。
 
 まあそんなこんなな世間ではあるが、そもそもいつの世も良質というのはわずかなパーセントしかないわけで、今ここでいうワカイおんなの中には、道でパンツ見せながら座り込んでるカオもカラダもきたならしいあいつらは入ってなくて、おれがいいたいのは、オッさんたちが自分らのフィールドでギヴアップした部分におれがいうオンナたちがするっと入り込んでで、一旦はいっちゃうと、意外なほど彼女らが馴染んでるじゃないか、っちゅうことなのね。

 今もうおんなっぽいおんななんてのはよっぽとじゃないかぎり戦略としかみんな見ないから、これは必然なんだろうと思う。オトコがやっていたことはいま正にオンナがやるべきことである、なんて感じ。マツダのクルマかなんかで「いくぜワタシ」なんてコピーがあったけど、それってモロわかりやすいでしょ。

 だからこそ、なさそで実はある(はず?)、オンナにできないことをおれたちオトコはやんなきゃいかんわけだよ。

フィールドはどんどん狭められ、おかまになっちゃった方が絶対ラクな状況ではあるんだけど、おっさんの正しさがそこのきみ、きみを救うぞ。といえば、うっそー、ってきみは答えるだろうか。

 オッさんはおばさんに囲まれて負ける。オッさんは孤独である。オッさんは冷酷じゃない。オッさんは実はやさしい。オッさんは実はいろんなことを知っている。が声が小さいためにおばさんの団体の声にかき消される。オッさんは自分を楽しませる方法を知っている。オッさんは世間で流行ってることにおばさんほど影響されない。オッさんは群れない。オッさんは水虫かもしれない。オッさんはヒトリでも闘う。がおばさんの団体には必ず負ける。オッさんは誰とも喋らない日がある。オッさんは昨日聞いたことを翌日他人に以前から知ってたようには言えない。

 男女問わずオッさんはいる。男女問わずおばさんもいる。

 おんなのおっさんをおれは「おまんこ付きおっさん」あるいは「おっさんなのにおまんこ付き」と呼ぶ。

 いつもこころにオッさんを!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
posted by おれ at 11:08| Comment(1) | TrackBack(0) | ジェンダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月21日

トゥインゴとプリズマの日々

《 DIAS COM RENAULT TWINGO E LANCIA PRISMA lNTEGRALE》
 突然トゥインゴのエンジンがかかんなくなった。一瞬プスッといったっきり、ウントスントモいわなくなった。

 ディーラーに取りに来てもらって、結局バッテリーの突然死でした。なんだよ、びっくりさせるなあ。でも最近のバッテリーってそうなんだってさ。みんな知ってた?

 プリズマは冒頭にも書きましたように、元気に走っております。ところでランチアのシートは「ゼニア」です。そうでない場合、アルカンタラです。仕立てがいいんだ、こいつが。

 イタ車といえばみんな最近は特にアルファ・アルファだけど、そのアルファが唯一コンプレックスをもつブランドこそがこのランチアだっちゅうこと、知ってましたか。

 イタリアといえば、フェラーリ、と、こうくるかもしれないけど、アルファはフェラーリにはコンプレックスはもっとらん。なぜか?それはフェラーリがやっていることは、かつてのアルファがやっていたことだからである。モーター・スポーツヘのコミットの仕方からイタリアン・カーの中での武闘派ともいえる立場といい、かつてのアルファそっくりなわけ。だから自分がやってきたことをトレースしているとしか思えない。

 エンツォはそもそもアルファ・ロメオのドライヴァーだしね。アルファはランチアの「品」にコンチクショウ、って思ってる。その品のあるクルマたちの中のインテグラーレの意味、これがまたまたアルファをくそーくそー、って思わせてる気がする。

 イタリアの紳士たちは、旨いもの喰わなきゃいかんし、サッカーで熱くならなきゃいかんし、クルマぶっとばして移
動しないといかんし、なかなか忙しそうだ。

 自分だったら?もちろん喜んでそうする。一生そうしときたい。
posted by おれ at 09:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ランチア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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